利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(57) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

野党第一党に欠けていたもの

よって、政治的変革が実現できなかった責任は、一にかかって野党第一党にある。すでに党首が責任を取って辞任を表明したが、当然だろう。その理念とリーダーシップに限界があったから、議席を減らし、政治的浄化をはじめとする課題の解決がすぐにはできなくなってしまったからだ。

前回に危惧を述べたように、立憲民主党はコロナ禍が始まってから総選挙に至るまで、抜本的な対応策を人々に鮮明に提示してこなかった。例えばシャドーキャビネット(影の内閣)におけるコロナ担当相の指名や、政府のコロナ対応を憂える専門家・有識者とタイアップした防疫策のアピール、医系技官・厚生労働省の改革などさまざまな方策が考えられた。それにもかかわらず、ただ政府の政策を批判して、微温的で常識的な政策の主張に終始していたように見える。だからこそ、コロナ禍によって生活の不安に脅(おび)える人々の心に響かず、支持率の低迷が続き、首相が代わって感染状況が10月に沈静化すると、比例代表ブロックで自党への支持が得られなくなってしまったのである。

リベラリズムの限界と選挙における敗北

このような対応に終始してしまった理由は、思想的にはこの政党がリベラリズムという政治思想に染め上げられているからだろう。自由や民主主義を擁護するのは尊いことだ。結党当時は、これらを守ろうと願う多くの市民がこの政党と一体感を感じて希望を託した。

しかし、今日の政治哲学でいうリベラリズムは、君主制を打倒して自由と民主主義を確立した歴史的自由主義と同じではない。今日のリベラリズムは、「善い生き方」に関する道徳的議論を回避し、権利の概念によって福祉を主張して、多様性や平等を主張する。立憲民主党が総選挙の公約で、多様性やジェンダー問題、格差是正や福祉政策を主張したのは、この思想をストレートに反映している。

この結果、与党との間には理念や政策の相違が明確になった。これは、政党政治の本義に則して望ましいことだ。

それにもかかわらず、多くの人々の心をこの政党がつかむことができなかったのは、この政治思想や理念そのものに限界があるからだ。道徳的議論を回避する傾向のために、汚職や腐敗の批判に倫理的な概念を本格的に用いることは難しい。また、権利や法的手続きを重視するあまり、共通の善に基づく政策を力強く訴えることができないのである。

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