現代を見つめて(66) 「事実のない世界」 文・石井光太(作家)

「事実のない世界」

フィリピンのインターネットメディア「ラップラー」のマリア・レッサ代表が、本年度のノーベル平和賞を受賞した。

近年、ラップラーは、二〇一六年にできたドゥテルテ政権による権力乱用や強引な麻薬捜査の実態を報じる活動を続けてきた。この業績が、民主主義や表現の自由を守ることに貢献しているとして受賞が決まったのである。

受賞の決定を受けて、レッサ氏は次のようにコメントしている。

「事実のない世界というのは真実と信用のない世界なのだということに、ノーベル平和賞の選考委員会も気づいたからこそ今回の受賞につながったのでしょう」

レッサ氏の「事実のない世界」という言葉を聞いて、日本はどうかと、ふと考えた。日本には事実があり、信頼を築けているだろうか。

たとえば、ここ数年間、日本の政治を大きく揺るがした事件として、森友学園問題がある。政府はすでに十分な調査がなされたと主張しているが、多くの日本人が結果に納得しておらず、解明に至っていないと捉えている。この問題一つとっても、日本に事実があるとは言い難い。

他にも、政治の献金問題が起これば、政治家の代わりに秘書が罪をかぶって辞職するのがいつものことだし、黒い交際疑惑が湧き起これば、「記憶にございません」というのがお決まりの台詞(せりふ)になっている。

民間にしても同じだ。大企業の脱税、品質不正、各種ハラスメント、学校のいじめや体罰の隠蔽(いんぺい)……。事実が隠される裏には、それによって利益を手にしようとしたり、地位を守ろうとしたりする何かしらの思惑がある。

こうしてみると、事実のない世界は、何も強権的な力を持つ大統領が君臨するフィリピンやロシアといった諸外国に限った話ではない。日本においても、政治、経済、それに私たちの身の回りなどあらゆるところで、無数の事実が権力者の都合のいいように消し去られているのだ。

本年度のノーベル平和賞は、メディアだけでなく、私たち日本人一人ひとりにも民主主義を守ることの必要性を投げかけている。

プロフィル

いしい・こうた 1977年、東京生まれ。国内外の貧困、医療、戦争、災害、事件などをテーマに取材し、執筆活動を続ける。『アジアにこぼれた涙』(文春文庫)、『祈りの現場』(サンガ)、『「鬼畜」の家』(新潮社)、『43回の殺意――川崎中1男子生徒殺害事件の深層』(双葉社)、『原爆 広島を復興させた人びと』(集英社)など著書多数。

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