利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(53) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

敗戦後の希望としての善福と栄福

第二次世界大戦は玉音放送で終了し、その後に来たのは、アメリカ軍の占領と民主主義だった。「一億総懺悔(ざんげ)」という言葉が語られ、多くの日本人は民主主義と経済再建へと走った。ただ、自分たちの力で民主主義を勝ち取ったわけではないので、その精神は十分に根付かなかったと言わざるを得ない。

今回は、日本人自らの手で政治と社会を再建する必要がある。その指針を提示する思想が、この連載で述べている徳義・共生主義(コミュニタリアニズム)であり、目指すべき社会や新しい文明の理想が、栄福社会である。

古代ギリシャの哲学者アリストテレスは、人間のさまざまな善について、それらの究極の目的はエウダイモニアであるとした。エウダイモニアは「幸福」と訳されることもある。当時のギリシャでも、一時的で刹那(せつな)的な感覚的幸福(ヘドネー)を追い求める享楽主義的な思想があったので、彼はそれを批判して、「善い精霊(エウダイモン)」に守られる幸福というような原義を持つ「エウダイモニア」という言葉を用いた。これは倫理的な「善き幸福」、つまり「善福」である。

これにちなんで、ポジティブ心理学では、自分の潜在性が開花して実現するような持続的幸福を「エウダイモニア(善福)的ウェルビーイング(良好状態)」と呼ぶ。その内容は、意味・真性・成長・卓越性などである。たとえば「生きがい」のような人生の意味は、パンデミックのような深刻な状況でも、生きる希望を与えてくれる(第51回)。

アリストテレスは、個人に秘められている資質が努力によって開花することで、その人固有の幸福(善福)が実現するとした。それによって、内的な幸福とともに、富や友人のような外的な幸福も実現すると考えたのである。「幸福」という言葉は、ポジティブ心理学では、一時的な感情的幸せを想起させがちなので、このような状態を「フラーリッシュ」と呼ぶことが多くなっている。開花によって繁栄と幸福とをもたらすので、日本語では「栄福」と言えばよいだろう。

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