現代を見つめて(57) 食から始まる 文・石井光太(作家)
食から始まる
お正月の定番と言えば、おせち料理だ。ある調査によれば、日本人の六割くらいが今でもおせち料理を食べているという。
おせち料理には食べ残しがつきものだ。特に子供は好き嫌いが激しいので、栗きんとんや黒豆などはあっという間に食べるのに、菊花かぶ、昆布巻き、紅白なますなどは残す。それでも親に言われて食べているうちに、だんだんと抵抗がなくなってくるものだ。
だが、最近は子供の口に合わせたおせちも増えてきた。パエリア、チキンナゲット、はたまたケーキまで。もはや重箱に入れさえすれば、何でも「おせち」ということなのだろう。
なぜこんなことを書いたかと言えば、日本の小学校で通訳をするブラジル人がこう言っていたからだ。
「最近の日本の学校では、生徒が嫌いなものは無理に食べさせない傾向にあります。教育現場では子供の個性や嗜好(しこう)を認めようという風潮があって、給食も同じなんです。そのせいで外国から来た子供はいつまで経っても日本食に慣れず、結果として日本に愛着を抱きにくくなっているんです」
食べ物は「異文化への入り口」 だ。最初は苦手でも食べているうちに慣れてきて、日本文化を好きになる。日本食が好きな人で、日本が嫌いという人はほとんどいないだろう。
これは日本人でも同じだ。おばあちゃんの料理が苦手でも、盆暮れに遊びに行って食べているうちに好きになり、田舎に愛着を抱くようになる。大きくなって地方や外国を好きになるのだって、郷土料理を好きになれるかどうかが大きい。
先のブラジル人はこう言っていた。
「人の個性や嗜好をどこまで認めるかっていうのは、すごく難しい問題だと思う。特に子供に対して好き嫌いを認め過ぎてしまうと、いつまでも苦手意識がなくならず、『できない子』になってしまうんです」
個性や嗜好を認めるなと言っているわけではない。ただ、何でもかんでもそう言い切ってしまうのではなく、コロナ禍でなかなか外部と触れ合う機会のない今だからこそ、なぜおせち料理や給食をちょっとくらい我慢して食べる必要があるのかを考えてみてもいいと思う。
プロフィル
いしい・こうた 1977年、東京生まれ。国内外の貧困、医療、戦争、災害、事件などをテーマに取材し、執筆活動を続ける。『アジアにこぼれた涙』(文春文庫)、『祈りの現場』(サンガ)、『「鬼畜」の家』(新潮社)、『43回の殺意――川崎中1男子生徒殺害事件の深層』(双葉社)、『原爆 広島を復興させた人びと』(集英社)など著書多数。