『現代を見つめて』(4) 文・石井光太(作家)

「いい子」って何だろう…

少し前に、児童支援をする民間団体の活動を、数日間密着させてもらった。電話やメール相談を受けて、職員が子供や親に会って話を聞くのだ。

ある日、夜中にSOSを発した中学一年生の女の子に会った。その子は親が厳しくて耐えられず、何度も家出をくり返したという。彼女は言った。

「お母さんは『いい子』になれってばかり言って厳しくする。でも、『いい子』のなり方なんてわかんないよ」

団体の職員によれば、相談者の子供はDV家庭の子か、反対に厳しい親に「いい子」を求められる子にはっきりと分かれるという。私はそれを聞いて、ある小学校での出来事を思い出した。

その学校の卒業式に、私は縁があって来賓として呼ばれた。式では卒業生一人ひとりが卒業証書を受け取る際、壇上で全員の方を向いて言葉を残すことになっている。ある男の子が言った。

「お母さんはシングルマザーで大変です。だから、俺が中学を卒業したら働いてお金入れて親孝行したいです!」

会場からは一際(ひときわ)大きな拍手が沸き起こり、私の隣の来賓も「いい子ね」と感心していた。

数カ月経ち、その卒業生の担任の先生と話をした。その時何気なくあの男の子の話になった。担任の先生は言った。

「みんなあの子のことを立派だって褒めますよね。でも、担任からすれば、ああいう立派なことを言う子が逆に心配なんです」

話によれば、親の中には自分の至らなさや不寛容さを子供に補わせる人がいるという。子供も、自分が家や母を守らなければ、と考え、大人っぽく振る舞う。

だが、それが子供にとって必ずしもいいとはかぎらないのだそうだ。子供の反抗期は精神の成長に必要な時間であり、親とぶつかり、いたずらをし、もがくからこそ一人の大人になっていく。子供時代から「いい子」を演じてばかりいると、大人になって無理がくることがあるらしい。

私はそれを聞いた時、「いい子」って何だろうと思った。本来は、その子らしく伸び伸びと生きている子を示したと思う。だが、今は巷(ちまた)で「いい子」像ができ上がり、親にとって都合がいい子が、「いい子」になっていないだろうか。

中学一年生の女の子の叫びは、そんな大人の思い上りに疑問を投げかけているように思えてならない。

プロフィル

いしい・こうた 1977年、東京生まれ。国内外の貧困、医療、戦争、災害、事件などをテーマに取材し、執筆活動を続ける。『アジアにこぼれた涙』(文春文庫)、『祈りの現場』(サンガ)など著書多数。近著に『砂漠の影絵』(光文社)、『「鬼畜」の家』(新潮社)がある。