現代を見つめて(50) オンライン化だけでいいの? 文・石井光太(作家)

オンライン化だけでいいの?

コロナショックは、企業の経済活動のリモートワーク(遠隔労働)化を推し進めたものとして記憶されるだろう。

私のようなフリーの人間でさえ、オンラインによる取材活動、インターネットを介したテレビ出演や講義などをだいぶ行ってきた。一般企業では、会議、営業、それに就職試験の面接までもがネットで行われている。

これはこれで素晴らしいことだと思う。と同時に、切り替えられるべきところと、そうでないところをしっかりと認識する必要があると感じる。

教育を例にとれば、受験のための学力を身につけるという点ではオンライン学習を適切に取り入れることは合理的だ。一方で、定時制高校や通信制高校は元不登校児や外国人生徒が多く、学力をつけることより、学校で教師のサポートを得ながら他人とつながる力を磨いたり、教師や友人と悩みを共有したりする場としての意味合いが強い。部活動や趣味の共有を通して自尊心を高める人もいるだろう。こういう面においては、オンライン化は決して有効ではない。

会社も同様だ。企業が利益を生み出して、給料によって社員の生活を支えるという点では得るものは大きい。だが、同じ企業活動でも、障害者の就労支援現場においては必ずしもそうとは言えない。精神、知的、発達等の障害のある人々が事業所で働くのは、経済活動というより、社会とつながることで心を安定させたり、家族の負担を軽減させたりする目的がある。そういう意味においては、逆にオンライン化によって失われるものは小さくない。

同様のことは、他にもたくさんあるだろう。教育にせよ、労働にせよ、すべてが一つの目的で動いているわけではない。なかなか可視化されないだけで、人によってそこに何を求めるのか、どういう意味を持つのかは異なる。

今後、社会におけるオンライン化はより一層広まるだろう。その時に大切なのは、一つの目的だけを想定して合理性を追求するのではなく、より多くの意義を見いだして柔軟に対応していくことだ。

自分にとっての価値が、他の人にとっての価値だとは限らない。

そんな当たり前のことを再認識したい。

プロフィル

いしい・こうた 1977年、東京生まれ。国内外の貧困、医療、戦争、災害、事件などをテーマに取材し、執筆活動を続ける。『アジアにこぼれた涙』(文春文庫)、『祈りの現場』(サンガ)、『「鬼畜」の家』(新潮社)、『43回の殺意――川崎中1男子生徒殺害事件の深層』(双葉社)、『原爆 広島を復興させた人びと』(集英社)など著書多数。