利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(37) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

近代国家の国家護持

このありさまを見て、私は「護国」という意味を以前よりも深く捉え始めた。一般には「護国」という言葉は、外敵が攻めてきて国家が敗北したり、服従したりするのに対して、国を守るという意味と理解されていることが多いだろう。だからこそ、この言葉には右翼的な響きがあるのだ。「護国寺」とか「靖国神社」には歴史的原因によってこの種のイメージがある。

もちろん、外敵から国を守ることも護国の一つだ。でも、国家が内部から崩れるのを食い止めるのも、護国なのである。戦後の日本は平和憲法を持ち、曲がりなりにも民主主義国家と考えられてきた。その近代的国家のシステムが、瓦解(がかい)し始めているのだ。外敵が軍事的に攻めてきているわけではないから、これは内側からの国家の崩壊である。

国家の崩落は、感染症の犠牲者を増やし、経済的な破綻を引き起こして、人々を不幸にしてしまう。だからこそ、良識ある国家を守ること、国家護持が重要なのである。最澄や空海以来、日本の仏教が歴史的に護国を唱えて祈ってきた理由も、現在の状況を見るとよく分かる。こう考えて私は、近代民主主義国としての国家護持が今こそ必要だと考えるに至った。

そのためには私たちはどうすればいいだろうか。通常ならば、政治問題に関して意見を持ったら、抗議行動や選挙運動によって行動で働き掛けることが大事だ。でも、今の状況では大規模集会は自粛せざるをえないから、デモのような活動は難しい。

そこでまず重要なのは、やはり祈ることだろう。前回に紹介したように、『法華経』や『金光明経』、『仁王経』が「護国三部経」として歴史的に重視されてきた。仏教に関心がある人だったら、これらを手掛かりにして、近代的国家の護持のために、そして、世界の平安のために、今の感染症や混乱が鎮まるように祈ることができる。

悲しいことながら、自分の身に災いが及ばないうちは、世界のことを真剣に考えようとしない人が多い。国家が瓦解しかねない事態が起こっているのもその結果だから、国民全体としては、自業自得と言わざるを得ない面もある。でも、戦争が起こってしまうのに比べれば、まだましだ。この危機的事態を体験して初めて、問題意識を持ち始める人も多いだろう。個人的な会話やインターネット上の議論はできるから、この状況をどのように正しく見て考えるべきか、祈りつつ語り合っていこう。

プロフィル

こばやし・まさや 1963年、東京生まれ。東京大学法学部卒。千葉大学大学院人文社会学研究科教授で、専門は政治哲学、公共哲学、比較政治。米・ハーバード大学のマイケル・サンデル教授と親交があり、NHK「ハーバード白熱教室」の解説を務めた。日本での「対話型講義」の第一人者として知られる。著書に『神社と政治』(角川新書)、『人生も仕事も変える「対話力」――日本人に闘うディベートはいらない』(講談社+α新書)、『対話型講義 原発と正義』(光文社新書)、『日本版白熱教室 サンデルにならって正義を考えよう』(文春新書)など。

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