おもかげを探して どんど晴れ(22) 文・画 笹原留似子(おもかげ復元師)
おじいさんが心からお地蔵さまに謝ると、体が動くようになりました。それからというもの、子どもたちがお地蔵さまと川遊びを楽しむ姿を見守るようになりました。
小さな頃、近所のお年寄りからたびたびこの話を聞きました。お年寄りは解説もしてくれました。
お地蔵さまは子どもの守り仏です。ですから、このおじいさんは、お地蔵さまの使命ができないように、本来守るべき対象の子どもたちをお地蔵さまから取り上げたことになります。それなのに、子どもたちを怒るなんてもってのほかです。
それから、おじいさんは毎日お地蔵さんに一方的にお願い事をしていただけで、お地蔵さまの気持ちなんて、これまで何一つ考えていなかったことが分かるのです。
おじいさんも最初は、お地蔵さまの存在にただ感謝して過ごしていたのかもしれません。そのうち、少しずつ見返りを求めるようになり、見返りの気持ちが当たり前になると、こうあるべきだ、こうに違いないと束縛の気持ちが抑制できなくなって依存が深まり、自分の物だと勘違いが始まって、束縛になってしまったということなのでしょう。お地蔵さまの心がおじいさんから離れて初めて気がつくという、相手の気持ちを尊重できないことで生まれる人の心が起こしやすいプロセスと結末を、この民話は教えてくれているのだと思います。
お地蔵さまは本来、着物の裾や袖を風になびかせて走っている姿なのだそうです。目の前に立っているのは、「今、あなたの前に着きました」という意味で、座っている姿は、「ゆっくり話を聞きます」ということの現れなのだそうです。お地蔵さまは「地」の「蔵」の中にいて、地球はどの場所も全部「地」でつながっていますから、呼ばれると「地」を走ってその人の元へ向かうそうです。人はいつだって見えていることだけで評価をしようとするけれど、見えていない部分が大切であり、そして、お地蔵さまが一心に走っている姿そのものが一番尊い評価なのだと、お年寄りは私に教えてくれました。
小さな頃の私の目に映るお年寄りは、いつも仏さまのように見えていましたから、一番身近な仏さまだったのかもしれません。大好きだったお年寄りはみんな、お空の上に行きました。「教えてもらったことに感謝しています」と、いつもお空に向かって伝えています。
※タイトルにある「どんど晴れ」とは、どんなに空に暗雲が立ち込めても、そこには必ず一筋の光がさし、その光が少しずつ広がって、やがて真っ青な晴天になるんだよ、という意味です
プロフィル
ささはら・るいこ 1972年、北海道生まれ。株式会社「桜」代表取締役。これまでに復元納棺師として多くの人々を見送ってきた。全国で「いのちの授業」や技術講習会の講師としても活躍中。「シチズン・オブ・ザ・イヤー」、社会貢献支援財団社会貢献賞などを受賞。著書に『おもかげ復元師』『おもかげ復元師の震災絵日記』(共にポプラ社)など。
インタビュー・【復元納棺師・笹原留似子さん】死者と遺族をつなぐ 大切な人との最後の時間をより尊いものに