現代を見つめて(31) 「単純明快」の落とし穴 文・石井光太(作家)

「単純明快」の落とし穴

愛媛県松山市を拠点とするご当地アイドルグループのメンバーOさんが自殺した。まだ、十六歳だった。

自殺が公になった直後、遺族側はOさんの自殺の原因が事務所のパワハラにあったと主張し、損害賠償請求の裁判を起こすと表明した。長時間にわたるレッスンやイベントを組んでいた上、Oさんに対して暴言を浴びせていたという。メディアは事務所側に押しかけて回答を求め、一般の人々の間でも事務所に対する批判の声が上がった。

ところが、しばらくしてOさんの親が娘の学費を払っておらず、Oさんは事務所からそれを借りていたことが判明した。すると、自殺の原因は学費を払わなかった親にあるのではないかという声が沸き起こった。批判の矛先が、事務所から家族へ向いたのである。

この騒動から見て取れるのは、物事の原因を一つのことに求めたがる人々の強い欲求だ。しかし、自殺の問題はそんなに単純なものではない。

精神医学の研究によれば、自殺者の九〇%近くがうつ病をはじめとした精神疾患にかかっているとされており、原因に関しても家庭問題、友人問題、健康問題、学校問題など多岐にわたることの方が多い。家族関係がこじれ、学校や仕事でもうまくいかなくなり、精神的に追い詰められた末に、自殺へと至るケースなどである。

しかし、人々は複雑に絡み合う問題から目をそらし、「わかりやすい物語」を求めて原因を一つに絞ろうとする。何か一つのことに責任を押しつければ勧善懲悪が成り立つからだ。悪を叩(たた)けば、複雑な問いに頭を悩ます必要はなく、すっきりとした気持ちになることができる。

原点に立ち返って考えてほしい。なぜ、メディアは被害者のプライバシーを明かしてまで自殺を報じることが許されるのか。

それは社会の奥底にある問題をしっかりと見つめ、同じことが起きないように対処するためだ。

社会問題は、学校の定期試験のように明確な答えがあるものではない。時には数えきれないほどの問題をはらんでいる複雑なものなのだ。

本当にOさんの死を無駄にさせたくない、社会を良くしていきたいと思うなら、そうした現実に向き合う勇気と忍耐を私たちは身につけていかなければならないだろう。

プロフィル

いしい・こうた 1977年、東京生まれ。国内外の貧困、医療、戦争、災害、事件などをテーマに取材し、執筆活動を続ける。『アジアにこぼれた涙』(文春文庫)、『祈りの現場』(サンガ)、『「鬼畜」の家』(新潮社)など著書多数。近著に『世界で一番のクリスマス』(文藝春秋)、『43回の殺意――川崎中1男子生徒殺害事件の深層』(双葉社)がある。

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