おもかげを探して どんど晴れ(8) 文・画 笹原留似子(おもかげ復元師)
それはどういうものかというと――20年以上の年月をかけて、即身仏になるために体を整えていきます。やがて、入定のとき、3メートル以上掘った深い穴に座棺(石棺だったという説もある)を置きます。座棺に静かに入り、座り、姿勢を整えるのです。棺のふたを、複数人で静かに閉め、ふたの穴から、鈴の音を確認するための長い竹筒を通します。それから、棺に土を盛ります。竹筒からは、かすかに、ゆっくりと鳴る鈴の音が聞こえますが、十数日後、鈴の音がやみます。竹筒を抜き、土を盛った後、即身仏になるための最後の1000日を待ちます(千日行を数回行い、段階を経て即身仏になる。入定は最後の千日行)。1000日後、掘り起こし、衣を着付け、拝まれる対象となり、即身仏と呼ばれるのです。
しかし、私のご先祖さまは、掘り起こされてはいません。よって、私は十代から即身仏について学習し、先祖のことを今もなお調べ続けているというわけです。
私のご先祖さまのように即身仏になるために入定し、今もなお掘り起こされていないであろう御姿が山の中にたくさんあると伝えられています。
明治時代、法により即身仏になること、即身仏の掘り起こしが禁止されました。現代では即身仏の行をされたとしても、発見されれば餓死または自死と診断書に記されるのだそうです。山形県の知り合いの医師がこうも言っていました。
「今でも即身仏としての行をつとめていたと考えられる方が見つかります。せめて検案書、死亡診断の死因の欄に自死(即身仏)と“()”を設けて行を成功させた証しをのこしてあげたい。最後に漆を飲んでも、そのかいなく火葬される時代ですが、どこかでその思いをかなえる人がいないと、切な過ぎますよね。人が深い悲嘆を持ったとき、『神仏に委ねる』心理が働くといわれています。自ら仏となり、人の苦しみを受け取り、幸せに導く思想が即身仏なのですから」
たとえその修行の最後がかなわずとも、人に知られず光が当たらなくても、私たち一人ひとりの幸せを懇願し、命を懸けて仏になろうとしてくれる人がいた、そして、現代もいると教えてもらい、さまざまなことが頭をよぎりました。誰も巻き込まずにひっそりと仏になる――その行について語られる瞬間、命を懸けて仏になろうとしたその方の命が輝いているように感じました。生きざまとは命の証しであり、その人がどのように生きたかを一人でもいいから誰かが知ってくれた時、その人が輝く。「生きる」とは、命を使うことを許された時間。多くの死と対面させて頂いて、私はそう確信するようになりました。
私のご先祖さまが、何を見て、何を感じ、どのような方々の思いを聞き、どのような考えを持ち、何を目的に即身仏になろうとしたのか。その時代の背景と状況をあわせて、子孫としてこれからもご先祖さまのいろいろなことを探し続けて、見つめていきたいと思っています。
※タイトルにある「どんど晴れ」とは、どんなに空に暗雲が立ち込めても、そこには必ず一筋の光がさし、その光が少しずつ広がって、やがて真っ青な晴天になるんだよ、という意味です
プロフィル
ささはら・るいこ 1972年、北海道生まれ。株式会社「桜」代表取締役。これまでに復元納棺師として多くの人々を見送ってきた。全国で「いのちの授業」や技術講習会の講師としても活躍中。「シチズン・オブ・ザ・イヤー」、社会貢献支援財団社会貢献賞などを受賞。著書に『おもかげ復元師』『おもかげ復元師の震災絵日記』(共にポプラ社)など。
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