おもかげを探して どんど晴れ(7) 文・画 笹原留似子(おもかげ復元師)
幽霊でも妖怪でも、緑色をしていると「恨み」を持っていると昔から言われています。私の会社に先日、小さな小さな緑色の火の玉が出ました。しかも二つ。その火の玉は、育児放棄で亡くなった子で、その子の誕生日会を関係者みんなで開催した時に、ハッピーバースデートゥーユーを歌っている最中に現れました。小さな火の玉でしたが、火の玉が出たことよりも、緑色だったことをその場に居たみんなが悲しがりました。どれほどの想いで、たった一人で死んでいったのか――無邪気に飛び回る火の玉を見ながら、みんな胸を締め付けられるような気持ちになりました。
もっとも、昔から火の玉が出る科学的根拠として、骨のリンから化学反応が起きて出るなどの説があります。ただ、もちろん弊社にはその子の骨はないので、科学的には説明できないわけです。死の専門職をしていると、不思議なことは日常茶飯で発生するものです。不思議な現象の後には、「また会えるかな?」といつもそう思います。
私たちは死者と共に生きている。そう思うきっかけとなり、さらにその思いを深いものにしてくれるネイティブアメリカンの話に出合ったのは、数年前のこと。その文献には、ネイティブアメリカンの葬儀のあり方が記されていました。彼らは鳥葬を営むのだそうです。大きな岩に遺体を置き、野生の鳥たち(鷲など)に亡き人の体を捧げ、今を生きる自然界の命を巡らせます。
彼らは語ります。そよ風が吹いた時、蝶が自分の周りを楽しそうに飛ぶ時、花の良い香りがした時、亡き人が会いに来ていて、共にいるのだと。そのような死生観の考えから、彼らは墓を必要としない民族らしいのです。
自分の命は自然に許されて生きているのだから、役割を終えたら死を迎えるのは当たり前。自然に帰れば、いつも家族の傍らにいることができる。このくだりを読んだ時、ご縁を頂いて、ご遺族が到達している世界と同じなんだなぁと、感動しました。
死者との関係を確認して語り合うこと、語り継ぐことは物語が語られるのと同じく、ものすごく価値のあることだと思います。物語を聞いていれば、大切な人の死に直面した時に深く支えられるに違いありません。
先人が開拓した道を、つくってくれた社会を土台に、今の私は生きています。その先人とは「死者」です。私たちもいずれ死んでいく身ではありますが、後に生きる人たちが頑張れるように、今のうちに死者となった先人についてたくさん語るべきだと考えてもみます。もっとも、聞いてくれる人がいないと、語ることはできないのは言うに及ばすではありますが。
※タイトルにある「どんど晴れ」とは、どんなに空に暗雲が立ち込めても、そこには必ず一筋の光がさし、その光が少しずつ広がって、やがて真っ青な晴天になるんだよ、という意味です
プロフィル
ささはら・るいこ 1972年、北海道生まれ。株式会社「桜」代表取締役。これまでに復元納棺師として多くの人々を見送ってきた。全国で「いのちの授業」や技術講習会の講師としても活躍中。「シチズン・オブ・ザ・イヤー」、社会貢献支援財団社会貢献賞などを受賞。著書に『おもかげ復元師』『おもかげ復元師の震災絵日記』(共にポプラ社)など。
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