『現代を見つめて』(20) 文・石井光太(作家)

希望のクリスマス 人々の祈り

クリスマスが近づくと、十二月の街に温かさを感じるようになる。

二十代の頃、私はもっぱら海外ルポの取材で年末年始を開発途上国で過ごすことが多かった。クリスマスにホテルに閉じこもっているのも何なので、夜になると一人で外を散歩したものだ。

ある年はインドにいた。町の教会の門の前には、百人を超す物乞いたちが集まっていた。物乞いたちの多くはヒンドゥー教徒だが、教会へ行けば炊き出しや衣服をもらえる上、信者が慈悲としてお金をくれる。それで門の前にすわり込んでいるのだ。

足の悪い物乞いが、枝で作った十字架を首から下げて、アスファルトにロウセキでキリストの絵を描いていた。物乞いたちの中には、もらったお金で買った花をその絵に供えていた。理由を尋ねると、ある人はこう言った。

「俺は親切にしてくれる神様はみんな尊敬するんだ。今日は教会でたくさん幸せをもらった。だからキリストにお返しをしているのさ!」

別の年には、イスラム教の国インドネシアにいた。イブの夜、現地の人からスラムへ行こうと誘われた。ついて行くと、鉄道沿いのスラム一帯が華やかなイルミネーションで輝いていた。屋台が出ていて、音楽が響く中で人々が踊っている。

友人は言った。

「うちの国では少数派のキリスト教徒は貧しくてスラムに暮らすことが多い。俺たちムスリムは、彼らのイベントを盛り上げようと、スラムのお店で買い物をしたり、飲み屋に行ったりするんだ。そしたらどんどんお祭りみたいに盛り上がったんだ。今じゃ、宗教なんて関係なくここに遊びに来るよ」

スラムのクリスマスは、宗教も階層も関係なく人々が入り混じる日なのだろう。

開発途上国でこのようなクリスマスを過ごすと、かつてイラクで会った人の言葉を思い出す。彼は言っていた。

「世の中って、巨大な電車みたいなものなんだ。ムスリムのドアもあれば、キリスト教徒のドアもあるし、仏教徒のドアもある。ドアは違うけど、みんな同じ電車で『幸福』って方角を目指すんだよ」

今年もいろんな争いがあり、いろんな対立があった。ただ、世界の隅々で行われているクリスマスの光景を目にすると、まだまだいろんな希望があるように思える。

プロフィル

いしい・こうた 1977年、東京生まれ。国内外の貧困、医療、戦争、災害、事件などをテーマに取材し、執筆活動を続ける。『アジアにこぼれた涙』(文春文庫)、『祈りの現場』(サンガ)、『「鬼畜」の家』(新潮社)など著書多数。近著に『世界で一番のクリスマス』(文藝春秋)、『43回の殺意――川崎中1男子生徒殺害事件の深層』(双葉社)がある。