えっ、これも仏教語!?(2) 【応病与薬】

【応病与薬】
「病はさまざまあれど、名医はその病状を正確に把握し、症状に合った薬を投与する」――状況に応じた的確な対応、を言い表したものですが、人間の四苦八苦に、的確に対処する名医とは、誰あろう、われらがブッダ、お釈迦さまのことです。

ご存じの方もいらっしゃるでしょう、『法華経』の「如来寿量品」には、毒を飲んで苦しむわが子を救った父親の話が出てきます。この父親も医師でした(良医治子の譬え=ろういじしのたとえ)。

毒に苦しむ子供とは、自分の欲や怒りや愚かさで、もがき苦しむ“われら衆生”を指し、その顚倒(てんどう)した衆生をも「わが子」として受け入れ、決して見捨てない慈父であり、かつ優れた医師は“お釈迦さま”ということです。この構図は多くの経典に取り入れられ、さまざまなかたちで説かれています。

※参考文献
『暮らしに生きる仏教語辞典』山下民城・編/『仏教ことわざ事典』須藤隆仙・著

良医治子の譬え

昔々あるところに、大変智慧のある一人の名医がいました。この医者には多くの子供がいました。

ある日の父親の留守中、子供たちは誤って毒薬を飲んでしまいます。子供たちは地面を転げまわり苦しみだしました。子供たちは毒のために本心を失っていましたが、帰宅した父親の姿を見ると、「お父さん、ごめんなさい。間違って毒の薬を飲んでしまいました。助けてください」とお願いしました。

父親はすぐに色も、香りも、味もよい薬を調合しました。ところが、子供たちは本心を失っているため、その薬は色が悪く、変な香りがするように感じて飲もうとしませんでした。父親は思います。「あぁ、かわいそうに。この子たちは毒にあてられて、ものごとを逆に見てしまい、本当のことが分からなくなっているんだ。何か子供たちが必ず薬を飲む方法はないだろうか……」。

そこで、父親は子供たちに「みんな、よく聞きなさい。もうすぐ私は死んでしまうが、用事があってまた出かけなければならない。ここに薬を置いていくから、必ず飲むのだよ。飲めばきっとその苦しみから解放されるから、決して心配はいらないよ」と言い残し、他国へ出かけました。しばらくして、父親は子供たちのもとに使いを送り、「お父さんは死にました」と伝えました。

知らせを聞いて子供たちは心細くなりました。同時に毒により顚倒していた心が目を覚ましたのです。そこで、父親が残していた薬が色も香りもよいものと気づき、薬を飲んですっかり治ることができました。子供たちが治ったことを知ると、父親は子供たちの目の前に現れたのでした。