法華経のこころ(5)

人間の生き方の究極の境地が示された法華三部経――。経典に記された一節を挙げ、それにまつわる社会事象や、それぞれの心に思い浮かんだ体験、気づきを紹介する。

常に楽(ねが)って是の如き法相を観ぜよ(安楽行品)

「つねにみずからすすんで、ものごとの奥にある実相を見なさい」。現実に身の回りにある現象について、私たちはその真実の姿を見なければいけない、と教えている句。

人間の情報量には限りがあり、百パーセント正確に物事を見抜く洞察力はない。だから、偏った情報だけで事物を判断してしまう危険性がある。

人が人を裁く裁判の場合この一句の重みは大きい。過去、誤った裁きでその一生を獄中で送らねばならなかった人が、何人もいた。

裁判とまでいかなくても、私たちの日常も「人が人を裁く」ような形で成り立っているように思えてならない。偏差値、入試などはその典型であり、「うわさ」は最も日常的な「判決」抜きの裁判かもしれない。

偏差値、入試はその人の学力の実績だから仕方ないにしても、「うわさ」というものはしばしば誤った情報が歪曲(わいきょく)して伝えられる。「うわさがうわさを呼ぶ」というように情報過多の現代は、「うわさ」の文化と言ってもいいほど誤った情報が氾濫している。こうした時代に生きる私たちに、この一句は、正確な情報収集の大きさを教えている。正確な情報をより多く集めてこそ、的確な判断と行動が生まれるのだ。
(S)

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