終わりを思い、今を生きる (2) 写真・文 浦上哲也 

「死の体験旅行」では、病が進行し、命を終えていくまでを疑似体験することで、〝本当に大切なもの〟は何かを再確認していく

「死の体験旅行」とは

前回に触れた「死の体験旅行」は、私が13年ほど前から開催しているワークショップ(体験学習)の名称です。有り難いことに、なかなかの人気講座で、参加者は北海道から沖縄まで、また海外在住者がわざわざ開催に合わせて帰国予定を立てておいでになる場合もあります。友人知人の僧侶も、「ぜひ自分も開催したい」と声をかけてくれ、今では全国のさまざまな宗派の僧侶が各地で開催してくれています。

ですが、このワークショップの起源は仏教的なものでなく、元は海外のホスピスで働く医療関係者に向けた講座でした。ホスピスの入院患者の多くは、余命いくばくもない状態にあります。治療・回復を目的とせず、安らかに最期の時を過ごすための特殊な病院施設です。そのため、ホスピスで働く医師や看護師も特殊な訓練が必要になります。その一つとして始まったのが、「自分自身が亡くなっていくシミュレーションを通じて、死期が迫った患者により良い看護と介護を提供する」ための、この講座でした。

ワークでは冒頭、20枚のカードに自分の大切な物や人、思い出などを書き記します。その後、ある人が病にかかり症状が進行する物語に合わせて、少しずつカードを減らしていきます。大切なものを死後に持っていけませんので、一つ一つ「手放す」ことで「死」を想像し、実感していくのです。

後半では、参加者同士で感じた思いを分かち合います。これは本編以上に重要で、自身の思いを他者に語ることで気持ちを整理でき、新たな気づきにつながる場合もあります。参加者は、時に苦悩し、時に涙を流して、大切なものの取捨選択を進めることで、死に向かう人の思いを追体験したり、自分が置かれている境遇に改めて感謝の念を抱いたりするのです。

私が「死の体験旅行」について知ったのは、一般家庭出身の自分が僧侶になることを後押ししてくれた父が急逝した数年後のことです。27歳の時に父を見送るまで、2年ほど僧侶として檀(だん)信徒の葬儀を勤めていましたが、初めて近しい肉親を亡くし、大きな衝撃と悲しみを感じました。しかし人間は良くも悪くも慣れる生きもので、数年もすると、当時の感情が薄れていってしまうのです。「僧侶として、この衝撃や悲しみを背負ったままお参りをしたい」と思っていた時、ふと手に取った書籍に「死の体験旅行」について書かれていました。「自分に足りないものはこれだ」と直感し、なんとか受講したいと調べ始め、開催経験者を見つけて受けさせていただきました。普段それほど涙もろくない私が、受講しながら号泣していたことを覚えています。

その体験談をインターネットに掲載したところ、「私も受けてみたい」「次はいつやるんですか?」という多くの反響が寄せられ、自ら開催することになったのです。当初は、怖いもの見たさの方が時折いらっしゃるぐらいだろうと想像していましたが、予想は大きく裏切られ、この記事を書いている9月末で5500人以上が受講されています。

受講者の年代や状況によって、目的はさまざまです。「就活」(就職活動)を控えた学生さんが、自分は将来何をしたいのかを考えたいと、いらしたこともあります。かと思えば、60~80代の方が「終活」を考えたいとおいでになることもあります。

転職や起業の夢を持つ方が、本当にその道に歩を進めていいのかと迷いながら受けにいらっしゃることもありました。そうした方の多くは、自分の死を見つめた結果、「よし、進もう!」と決心されることがほとんどです。また、恋人との将来に迷いが生じていた若い女性は、受講後に「私、結婚に向けて前向きになりました!」と言ってくれました。

意外だったのは、がんなど大きな病気の経験者の受講も少なくないことです。本当に生命の危機を味わった方がなぜ受講されるのだろうと不思議に思いましたが、「闘病中は苦しかったけれど、余計なものが削(そ)ぎ落とされる感覚があった。その時の澄み渡った感覚をもう一度味わいたい」という言葉に深くうなずかされました。

人は誰しも、人生の中で大切な誰かを見送り、そしていつか自分自身の「その時」が必ずやってきます。「死の体験旅行」は、年代や立場を超えて、誰が受けても大きな発見があるものだと思っています。

プロフィル

うらかみ・てつや 1973年、東京都生まれ。浄土真宗・慈陽院なごみ庵住職。一般家庭に育ち、大学卒業後は民間企業に勤めた後、親戚の寺を手伝い僧侶となる。その後、借家の一室を改装して布教所を開き、13年をかけて宗教法人の認可を受ける。「自死・自殺に向き合う僧侶の会」共同代表。ワークショップ「死の体験旅行Ⓡ」主宰。

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