リレーエッセイ「声なき“生きづらさ”に寄り添う」3-(2)(映画監督 今村彩子)

「あちこちに咲く手話の花」
映画監督 今村彩子
雨の降る日曜日、五つの家族が愛知県大府市のキッズパークに集まりました。コーダの子と親の会が企画して、毎月1回集まっているのです。コーダとは、「Child of Deaf Adults」の頭文字で、ろうの親から生まれたきこえる子どもを意味します。
室内の壁一面に広がるボルダリングウォール。その下にはふかふかの厚いマットが敷かれています。2階の小屋に続くはしご、その下には低いテーブルと絵本の並んだ本棚があります。室内の右隅には大きなぬいぐるみの動物が並び、すべり台の下のあたりには、おもちゃの電車と線路があります。小屋も通路も壁も全て木造で、子どもだけでなく、親も喜ぶ要素がぎゅっと詰まった空間が広がっていました。
目を輝かせている息子に手を引かれながら遊んでいると、次々と家族が到着しました。あちこちで手話の花が咲いています。
<おお、目で見て分かる!>
わたしは、じーんとしてしまいました。いとも簡単に会話を理解できることに。そして、相手の口の動きを読み取る「読話(どくわ)」を伴ったコミュニケーションが、いかに負荷のかかるものかを改めて感じました。
これまでは広い公園で集まっていたので、子どもたちはあちこちに点在している遊具に散ってしまい、親同士が腰を落ち着けて話すことができませんでした。ところが、ここはほどよい広さで、2階の小屋で息子と遊びながら下に目を向けると、他の親たちが手をひらひらと舞わせて手話で話しているのが見えます。
子どもたちの声が大きくて相手の声が聞き取れない、遠く離れているため自分の声が届かないという場合でも、手話なら、あっという間に解決できます。手話が見えるところであれば、周りがうるさくても離れていても大声を張り上げる必要はありません。自由自在に、思う存分に話すことができます。
「祭りに娘がダンスで参加する」
「ダンスを習っているの?」
というふうに、手話に視線を向けるだけで、情報が次々と入ってきます。きこえる人がその場に身を置くだけで、音の情報が入ってくるように。
<うわあ! まるで、自分の国にいるよう……>。思わず、率直な思いがこみ上げました。きこえる人が普段、享受している環境です。けれど、息子を保育園に送迎するだけでも異国を旅するような感覚だったわたしは、心が震えました。
話が分からなかった時、会話を中断させてまで「何?」と聞くのは気が引けるし、思い切って内容を尋ねても、確実に分かるとは限らないからです。相手の口の動きが小さかったり、早口だったりすると理解しづらいからです。
そうしたやりとりに消費するエネルギーを考えると、わんぱくな息子を相手にするエネルギーに回し、その場は笑ってやり過ごそうという思考になりがちです。仕事や家事で疲れていればなおさらです。
でも、コーダの子と親の会に来ると、「何?」と勇気を出して聞かなくても手話を見れば分かるし、わたしだけ取り残されているという疎外感もありません。興味のある会話なら自分もその輪に入り、そうでなければ、子どもたちと一緒に遊ぶというふうに、選択することもできるのです。
キッズパークには、私たちのグループ以外に2組のきこえる親子がいました。彼らは顔見知りではないようで、別々に遊んでいました。心なしか肩身が狭そうに見えました。
マイノリティーの立場になってしまうと、居心地悪く感じるんだよねと、心がざわめきながらも、わたしたちは、その日をめいっぱい味わおうと、堂々と手話の花を咲かせていたのでした。
プロフィル

いまむら・あやこ
名古屋市生まれ。愛知県立豊橋聾学校高等部を経て、愛知教育大学教育学部卒業後、カリフォルニア州立大学ノースリッジ校で映画制作を学ぶ。『友達やめた。』『きこえなかったあの日』など多数の映画を手がける。著書に『スタートラインに続く日々』(桜山社)。現在、ろう・難聴の子ども向けの映画『どうする松本くん!』を制作中。





