栄福の時代を目指して(20) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

画・国井 節

倫理的正統性の疑われる総選挙――帰結の顕在化

前回は、「戦後未曽有の国難」到来の兆候という見出しで書き始めたが、この1カ月でいよいよ顕在化してきた。建設業界では資材不足で工事ができなくなり始め、さまざまな日用品も価格高騰が目立つようになった。カルビーのポテトチップスやかっぱえびせんの包装が白黒の「石油原料節約パッケージ」になるというのは、象徴的だ。それでも、政府は石油・ナフサ供給見通しの間違いを認めず、「目詰まり」と糊塗(こと)し続けている。それどころか、官邸幹部からは「売名行為だろう」という発言(朝日新聞、5月20日)まで飛び出した。

つまり、本連載第17回に述べたように、「推し活選挙」などによる衆院選挙結果が、いよいよ国民の犠牲として表出し始めたことになり、ようやく「『物価高』『モノ不足』の無為無策! 石油・ナフサ危機は高市内閣の『人災』だ」(『サンデー毎日』2026年5月19日)というような記事が現れるようになった。

その首相陣営には、ネガティブ・キャンペーンの疑いが勃発している。昨年10月の総裁選、そして、今年2月の総選挙で、高市早苗首相の最側近である公設第一秘書が牽引(けんいん)し、現大臣補佐官がSNS班の責任者となって、ライバル候補や野党を誹謗(ひぼう)中傷する「ネガキャン動画」を大量に作成・拡散していたというのだ。投開票後には「旧立憲民主の害獣を沢山駆除する事ができました」(2月9日)というショートメールを送信したという(『文春オンライン』2026年4月30日号、5月21日号)。国会で問われて高市首相は否定したが、続報で次々と噓(うそ)が暴かれ、「能面の笑顔」と表されるような虚飾も剥げ落ちつつあるように見える。

このような誹謗中傷の選挙キャンペーンは、民主主義の理念から見て、もちろん邪道だ。もともと民主主義は、相手を蹴倒そうとする戦闘ではなく、理念や政策によって、より優れた候補者を選出するための仕組みだからだ。一連の報道が真実ならば、首相陣営全体に品性の下劣さが問われる。

もちろん、将来は、卑劣なデジタル・ネガティブ・キャンペーンは法的に禁止されるべきだろう。今までは法律がなかったからといって、この総選挙が正当化できるわけではない。そもそも、第16回で書いたように、この総選挙には、選挙期間の短さという点、さらには高市首相の解散権の濫用(らんよう)という点で、問題があった。これらを合わせて考えれば、総選挙には倫理的な正統性に大きな疑いがある。もしネガティブ・キャンペーンを高市陣営が行ったのならば、倫理的に不正な選挙という非難は免れないのである。

もちろん、制度的には現行議会は合法的に成立している。しかし、選挙過程におけるデジタル・ネガティブ・キャンペーンや、解散権濫用の問題によって、倫理的・熟議民主主義的観点からは、その代表性に重大な疑義が生じているのである。

この報道によって、現在の与党の衆議院議員にも、通常の選挙後の議員に比して、倫理的な正統性が疑われる事態が生じている。もちろん、議員の中には、正常な選挙が行われても当選した人はいるだろう。しかし、与党には落選した人がいるかもしれないし、逆に落選した野党議員には当選した人がいるはずだ。たとえば、立憲民主党の中心的政治家だった枝野幸男氏や岡田克也氏が落選して大きな衝撃が走ったが、両氏について中傷する動画が作成されたと報じられているから、もしこのような攻撃がなければ当選していたかもしれない。

この問題は深刻な帰結をもたらしている。もし正統な総選挙が行われていたり、あるいは総選挙が突然2月に行われていたりしなければ、高市内閣は、上述のような「無為無策」を続けることはできなかっただろう。自民党内部で批判が高まったり、野党から厳しい批判が行われたりしたはずだからだ。衆議院では、立憲系の議員が数多く落選したので、その人たちは政府批判を国会で行うことができなくなってしまった。このため、参議院は別にして、衆議院では政府批判が甘く、微温的になりすぎているのである。

危機と代表制の空洞化――直接民主主義という活路

前回は、このような状況を打開するために、カトリックのローマ教皇レオ14世の呼びかけに応えて、行動を起こすことを勧めた。その例として、筆者の関わるささやかなオンライン署名活動「船舶通過のため、日本政府にイランとの友好的な交渉を求めます」に言及した。幸いこの試みが、政治家や有識者の結集によって本格的な声明と署名に発展し、発足後わずか20日間くらいで、すでに27000筆以上の署名を得ている。このスピードから、多くの人々がいかにこの問題に強い関心を持っているかがわかる。

この声明・署名活動は、単なる「要望提出」ではなく、現代民主主義の危機状況における、新たな直接民主主義の実践として位置付けることができる。

民主主義には、大きく分けて「間接民主主義(代議制民主主義)」と「直接民主主義」がある。間接民主主義とは、市民が選挙によって代表者(議員)を選び、その議員が議会で首相などを決め、法律作成や政策決定を行う仕組みである。現代国家は人口規模が大きいため、全ての政策を国民全員で直接決めることは困難であり、多くの国ではこの代議制民主主義が採用されている。日本の国会制度もその典型である。

これに対して直接民主主義とは、市民自身が政策をはじめ政治的な決定に直接参加する仕組みを指す。古代アテネの民会や、現代では国民投票・住民投票がその典型であり、署名・大規模デモなどもその一例だ。国家における代表者を介さず、市民が直接的に政治意思を形成・表明する点に特徴がある。

通常時には、議会を通じた間接民主主義が中心となる。しかし、議会が十分に民意を反映していないと市民が感じる場合や、危機的状況において迅速な民意表明が必要な場合には、署名運動や住民投票、社会運動など、直接民主主義的手法が重要性を増す。

現在、日本政治は、総選挙における上述のような理由によって、重大な政策課題に対して十分に民意を反映しているとは言い難い。このため、多くの市民が「形式的には選挙が存在していても、実質的には民意が十分に反映されていないのではないか」という不信感を抱くようになっている。本来は、解散総選挙を再度、行って、歪(ゆが)みのない民意を議会に反映させるべきだが、政権そのものに問題があるのだから、そのような良識は到底望み難い。

このように国政選挙がしばらくないと思われる状況では、重大政策に対して国会では民意が十分に表明され得ない。今の衆議院は民意を代表していないからである。第一院と呼ばれるように、二院制の中で参議院よりも衆議院の方が、権限が大きいから、これは議会全体の機能が半分以上麻痺(まひ)していて、国会は片翼状態になっていることを意味する。いわば「片肺代表制(間接)民主主義」とでも言えようか。

その結果、議会制民主主義は制度的には存在していても、実質的には民意と議会とが乖離(かいり)し、「民主主義の空洞化」が生じている。こうした危機状況においては、間接民主主義が半分以上、機能不全に陥っているので、直接民主主義的な方法で民意を明らかにする他ない。

デジタル直接民主主義の可能性――声明と署名による民意の代表

現在、全国的に拡大しているデモは直接民主主義的な方法の一つの方法である。近年にはないほど、若者を中心にデモが増加しているのは、政権に対する批判が燃え広がっていることを表している。ただ、デモでは、正確な参加人数は算出できないので、これだけでは広がりを把握することが難しい。

そこで、今回のような署名活動が、重要になる。これは、「どれだけの市民が賛同したか」を数として可視化できる点で、デモとは異なる特質を持つ。人数が明確に積み上がることで、社会的意思の量的表示が可能となるのである。そもそも、投票はその人数によって議員の当選が決まる。そのため、これは一種の「代替的投票」として理解することができる。声明は、いわば法案や政策の骨子のような役割を果たしている。これに対して、人々がデジタル投票を行っているわけだ。

しかも、この署名運動は、単なる草の根的な感情的運動ではない。まず、元首相や前・元国会議員、専門家、有識者らが声明文を起草し、それを中心にして呼びかけ人や賛同人が集まり、署名を呼びかけている。つまり、この人々が代表となって、市民社会と政治社会を媒介しているのである。

現職議員は各政党の論理によって動きにくいことがあるから、政治家では前・元議員が集まって行動を起こし、有識者と共に媒介者となって、市民の意思を可視化している。選挙において議員が「代表」となるように、この人々は署名者の「代表」となるのである。そして、署名の「代表者」たちは、人々の意思や希望を現職議員や政党へと伝え、さらには政権に対して要請する。この構造は、通常の代議制民主主義に代わって、その機能不全を補完する「媒介型直接民主主義」とでも呼ぶべきものである。

さらに重要な可能性は、この署名が単なる個別政策への賛否を超え、政府の最重要政策に対する実質的な「不信任投票」としての意味を帯びる可能性を持つ点である。本来、不信任決議は国会で行われる。しかし、議会多数派が固定化し、選挙まで長期間ある場合、市民が政策転換を求める意思を示す手段は限られる。そうした中で、大規模署名は、「現在の政策では危機を回避できない」「別の外交・安全保障・エネルギー政策を求める」という民意を可視化する役割を果たし得る。極論すれば、比例区投票における与党の投票者数を上回る署名数が集まれば、その案件に関する与党の政策は人々によって不信任が表明されたことになろう。

それは、もちろん制度上の正式な投票ではない。しかし、政治的・社会的には、政府の基本路線に対する「人々の直接的な意思表示」として機能し得る。そして、それが議員や政党への働きかけを通じて政策変更につながるならば、これは危機時代における新たな民主主義の実験でもある。

政治学では、投票をデジタル方式で行うというデジタル民主主義の可能性が論じられている。これが制度的・技術的に可能になれば、さまざまな政策や法案について人々の意思を直接に問うことが可能になるからだ。

古代ギリシャなどでは、政治体(ポリス)の規模が小さかったから、民会で人々が直接に意思表示を行い、決定に参与した。近代民主主義においては、国民国家の規模が大きいから、これは不可能であり、そのために議員を投票によって選出するという間接民主主義が基本になった。しかしデジタル技術の発展によって、多人数でも、民意を直接に表明することが構想できるわけである。

このような直接民主主義にはさまざまな難点もあるから、すぐに採用するということには必ずしもならない。けれども、巨大な危機の時には、議会が代表の機能を十分に果たせなければ、人々がデジタル方式で意思を形成し、可視化して、政治へと反映することが必要になろう。今回の署名運動は、その新しい回路となるかもしれないのである。

デジタル公共圏の可能性

今回の署名運動のもう一つの特徴は、それが単なる「反対運動」ではなく、デジタル時代における新しい公共運動のモデルになり得るということだ。近年、SNSや動画プラットフォームは、政治参加を拡大する一方で、感情的対立やアルゴリズム操作、さらにはSNSを利用した世論誘導の危険性も抱えるようになった。とりわけ、ポピュリズム的政治家が多用するデジタル・SNS戦略は、多額のお金をかけて、動員力や拡散力を持ち、「感情の動員による政治」や「分断型政治」を強化した。

これを批判することはもちろん重要であり、このような方法に対しては新たな規制立法が必要だ。そうでなければ、選挙には、優れた代表を選出する機能が減少してしまい、民主主義的な正統性が失われてしまう。しかし、そう批判しても、現在の政権が自らそのような規制立法を行う可能性はないに等しい。

そこで、健全な民意を明らかにするためには、デジタル技術を使って理性的な公共圏を形成することが必要だ。今回の運動は、その意味で、デジタル時代における「ネットワーク型公共圏」の試みとして位置付けることができる。

従来の政治運動は、中央集権的な組織や固定的支持団体によって運営されることが多かった。しかし現代社会では、市民は単一組織への帰属よりも、多様なネットワークを通じてゆるやかにつながる傾向を強めている。今回の運動もまた、特定政党や固定的イデオロギーによる閉鎖的運動ではなく、多様な個人・団体・専門家・元議員・宗教者・事業者・市民などが、共感を軸に連携する開かれた公共空間を形成しようとしている。

さらに、この運動は単なる「署名サイト」にとどまらず、生活・平和・エネルギー危機に関する公共情報ハブとしての機能を持つ可能性がある。実際には、エネルギー危機は、イスラエルとアメリカによるイランへの攻撃が始まった今年3月からすでに識者によって危惧されていたにもかかわらず、主要メディアの報道はほとんどなかった。しかも、政府が企業に対しても「危機を煽(あお)るな」という名目のもとに圧力をかけ、真実の情報を抑圧してきた節がある。このため、多くの国民は最近まで危機感を持っていなかった。危機に関する情報は、むしろSNSやネットを通じて拡散していた。

そこでこの運動では、物価高騰、物流停滞、エネルギー不足、生活不安、企業現場の声など、危機に関する具体的情報の入手経路をサイトに集約し、SNSやX、note、各種リンクを通じて共有していくことが大切になる。市民の訴えや現場情報を可視化することで、危機を抽象論ではなく「生活の問題」として共有するためだ。

これは、従来型マスメディアとは異なる、市民参加型・動的公共圏の形成を意味する。オンラインを基盤とし、SNS拡散を通じて市民世論を形成する点で、デジタル時代特有の公共運動と言えるだろう。

生活と平和という理念による現実的外交――ポジティブなネットワーク型運動

また、この運動は、従来の「左派的平和運動」とは異なる特色を持つ。声明は「生活と平和を守るための現実的外交提言 ――船舶通過の実現と国民生活の安定を求めて」というタイトルであり、「生活と平和」が中心的概念となって、「生活と平和」提言(事務局)という概念が用いられている。

この中で、もちろん平和は中心的な理念である。しかし同時に、外交、安全保障、エネルギー、物価、物流、ビジネス、生活防衛といった現実的課題が「生活」という概念で示され、保守層や中道層を含む幅広い市民が参加可能な公共運動を目指している。その意味で、この運動はイデオロギーよりも生活の要請に基づく「現実的外交」の提言だ。。つまり、この局面においては、平和への訴えは抽象的理念ではなく、人々の生活を成り立たせるための現実的政策なのである。

さらに興味深いのは、オンライン運動と街頭運動との関係である。今回の運動は、官邸前デモなどとの連携可能性を持ちながらも、一体化しているわけではない。街頭行動のエネルギーを尊重しつつ、オンライン署名によって民意を可視化することが目的だからである。すなわち、「公共的署名運動」と「街頭のエネルギー」が、緩やかに並列しながら相互補完することが想定されている。それによって、デモだけでも、ネット署名だけでもない、新しいハイブリッド型市民運動が広がるかもしれない。

また、組織形態にも特徴がある。かつての社会運動は、労働組合や政党などによる組織動員型が中心であった。しかし今の時代に適合的なのは、生活協同組合、市民団体、宗教団体、研究者ネットワークなどが、「命令」や「統制」ではなく、「共感」に基づいてゆるやかに連携する構造だろう。これは、ポスト組織動員型社会運動とも呼び得る。

さらに、類似署名運動や他の公共運動とも連帯し、相互リンクや情報共有を進めることで、分散的な公共ネットワークを形成していく可能性もある。サイト上などに関連団体や運動へのリンクを設け、チラシや拡散方法を共有し、段階的に公共圏を拡張していくことも考えられるだろう。

重要なのは、この運動が「怒りの動員」だけに依存していない点である。情報としてリアルな危機を共有しつつ、友好的外交、生活防衛、平和的解決、エネルギー安定供給という、現実的かつ建設的な提言を掲げている。つまりこれは、単なる反対運動ではなく、理念と現実を接続するポジティブな公共運動だ。

デジタル時代の民主主義に必要なのは、分断と憎悪の増幅ではなく、市民が現実的課題を共有し、相互につながりながら公共性を再構築していくことである。今回の署名運動は、その新しい可能性を模索する試みである。

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