バチカンから見た世界(178)文・宮平宏(本紙バチカン支局長)

-「平和の神学」を説き続けるレオ14世(7)-
同じキリスト教でありながら、トランプ大統領やプーチン大統領を支える神が勝つのか、それとも、ローマ教皇レオ14世が他の諸教会と結束して説く神が勝つのか——という論争は、聖アウグスティヌスが、崩壊していく西ローマ帝国の例を挙げながら示した「地上の国」の論理だ。キリスト教徒は、世界史の中で既に実在し、「地上の国」と同時進行する、永久の愛の国である「神の国」に心と眼を向けて、地上を巡礼していかなければならない。世界史が、いずれかは、神による愛の業(わざ)である宇宙創造の秩序である平和と、その中における人間の救いに向けて収束されていくからだ。
4月5日は、世界のキリスト教徒(正教徒を除く/正教徒の復活祭は同12日)たちにとって、キリストの死から新しい生命への蘇(よみがえ)りを追憶する「復活祭」である。バチカン広場でも、ローマ教皇レオ14世の司式する復活祭ミサが荘厳に執り行われ、全世界から約5万人の信徒たちが参加した。
カトリック教会史上初の米国人教皇は、就任後に初めてバチカンで司式した復活祭ミサの後に、聖ペトロ大聖堂(サンピエトロ大聖堂)の中央バルコニーから、「ローマ(教皇はローマ司教)と全世界へ向けての復活祭メッセージ」(URBI ET ORBI)を発信した。メッセージの冒頭で教皇は、キリストの復活を「キリスト教信仰の起源と基盤」と定義し、復活祭が「生命の死に、光明の暗黒に、愛の憎悪に対する勝利」であると説いた。そして、人類の古代からの敵であった死と暗黒に勝った神の力は、「(宇宙を)創造し、(人間を)生み出す愛、最後の最後(十字架上の死)まで忠実であった愛、(罪を犯した人類を)赦(ゆる)し、救う愛」であり、「キリストを復活させた神の力は、(ローマ帝国に天使の軍団によって勝つことではなく)完全に非暴力の力であった」と示した。
さらに、この「非暴力」である神の力が、「人と人、家庭内、社会グループ間、諸国家間といった、全てのレベルで尊敬ある関係を打ち立てることによって、人類に平和をもたらす」と説いた。その神の力は、自身の選択を人間に強要することなく、一方的利益を追求せずに「共通善」を他の人々と共に進め、実現していくようにと誘(いざな)うのだ。
教皇は、キリストの復活が、「新人類の誕生」と、正義、自由、平和によって支配され、愛、生命、光明である父なる神の同じ子として、皆が兄弟姉妹であることを認める「約束の地」への到着の始まりであるとも説明した。だからこそ、「武器を持っている者は、武器を手放せ。戦争を勃発させる権力を持つ者は、平和を選択せよ。軍事力ではなく、対話によって希求される平和を! 他者を支配することではなく、出会いの意思を持て!」と訴えるのだ。私たちが「暴力に慣れ、無関心となっていく」ことに警鐘を鳴らし、「キリストが私たちに平和をもたらすために、(十字架上での)死の門をくぐられた」と戒めた。そして、キリストの平和は、「武器の轟音(ごうおん)を止めるだけではなく、私たち、一人ひとりの心に触れ、改めさせる」からこそ、「キリストの平和に改宗しよう」と呼びかけた。
最後に、教皇は、4月11日にバチカンの聖ペトロ大聖堂で、自身が司式する「世界平和のための祈りの集い」を開くと公表。同日にバチカン広場と聖ペトロ大聖堂に参集した聖職者や信徒たちに向かい、「神の王国には剣、ドローン、復讐(ふくしゅう)心、悪の相対化や不正義な利益もなく、尊厳性、理解、許しがあるのみ」と説き、「ここに、われわれの周辺で、より予測できず、攻撃的となっている、全能の妄想に対する防波堤がある」と指摘した。
教皇が言う「全能の妄想」とは、経済力と軍事力さえあれば、世界で何でもできるという驕(おご)りのことだ。「自身(強権者)と金銭の偶像崇拝は、もうたくさんだ。力(軍事力)の誇示は、もう要らない。真の力は、生命に奉仕することによって示される」と明示。だからこそ、「カトリック教会は、平和の福音を告げ、人間にではなく、神に仕えるよう教育し、特に、度重なる国際法の蹂躙(じゅうりん)によって危険にさらされる、他の人々の尊厳性の遵守(じゅんしゅ)を訴える」のだ。
これに先立つ10日、教皇はバチカンで、イラン戦争から直接の影響を受けるイラクカトリック司教団と会い、彼らに向かい「キリストは平和の王子であり、昨日は剣を振りかざし、今日は爆弾を投下する者の側に立つことはない。軍事活動が、自由の域と平和の時を構築することはないことを思い起こすべきだ」と発言した。復活祭前の「聖金曜日」(キリストの受難と死を追憶する日/4月3日)には、米国大統領府のホワイトハウスで、トランプ大統領を囲んで復活祭の昼食会が開かれ、大統領を支持する数人のキリスト教指導者たちが参加した。昼食会でスピーチしたポーラ・ホワイト大統領府信仰局長(信仰と信教の自由の問題担当官)は、トランプ大統領をキリストになぞらえながら、「トランプ大統領はキリストと同じように、裏切られ、逮捕され、虚偽の罪状を突き付けられた。誰といえども、あなたほど多大の代価を払った人はなく、(狙撃事件という)生命の代価さえも払うところだった。しかし、キリストの勝利(復活)によって、あなたは手掛けた全ての政策において勝利を収めたが、それは、神があなたと共に在り、あなたを使っているからだ」と話した。
「神によって狙撃事件から命を救われた」と信じるトランプ大統領は、昨年のバチカンでの教皇選挙(コンクラーベ)前には、教皇の法服を着た自身のイメージをSNSに投稿。今月12日には、奇跡によって病人を癒やす、キリストに模した自身の姿を掲載していた。手から光を放って奇跡を行う、キリストらしきトランプ大統領の背後には、「星条旗」が翩翻(へんぽん)と舞っていた。
カトリック教会史上初の米国人教皇の就任から、早くも1年が経過しようとしている。教皇は当初、さまざまな面で控えめな発言や行動をとっていたが、今年に入ってから、聖アウグスティヌスが西ローマ帝国の崩壊を例に挙げて説く「地上の国」と「神の国」を基盤とする、「平和の神学」の構築と、その実践を明確な表現で示し、鋭く説くようになってきた。神の愛による宇宙創造の秩序である「世界平和」という福音のメッセージによって、「地上の国」(現代世界)が呈するさまざまな“歪(ひず)み”を指摘、糾弾し、その是正を訴えるようになったのだ。
特に、富豪が政治権力を握り、軍事力を行使して自身の望む世界秩序と平和の構築を試みる現代の「地上の国」にあって、戦争の犠牲者や虐げられている人々(難民、国内避難民、移民)の側に立ち、世界史の中で同時進行する「神の国」の到来を説いている。従って、4月12日に発生したトランプ政権との前代未聞の衝突は、ある程度、予測できた。トランプ大統領は同日、自身のSNSに長文の投稿を掲載し、「レオ教皇は、犯罪に対して弱腰で、彼の外交政策は最悪だ」と批判した。トランプ大統領の指摘する犯罪とは、密航者や不法移民を犯罪者と見なすこと、また、最悪と批判する教皇の外交政策とは、独裁政権を打倒するためのベネズエラへの軍事介入への反対や、イランによる核保有を容認し、同国への軍事攻撃を非難するというもの。
そして、教皇に対して「政策を批判するな」と警告し、「私に感謝すべきだ」と主張。その理由として、「米国人教皇の選出は驚きだった」が、「(コンクラーベで)彼は当初、教皇候補に挙がっていなかった。彼が米国人であるという理由のみによって候補に挙げられ、トランプ大統領と折衝(せっしょう)するためには米国人教皇の方が最良だという理由のみで、選出された。従って、私がホワイトハウスにいなかったら、彼は教皇に選出されなかっただろう」という、我流の見解を投稿した。カトリック教会の信徒たちの中では、コンクラーベにおいて、選出する枢機卿の間に(父と子と聖霊で構成される三位一体論のうちの一格である)「聖霊」の息吹が下り、新教皇が選出されると信じられている。トランプ大統領は、前回のコンクラーベで自身が「聖霊」となって下り、教皇レオ14世を選出させたと信じているかのような主張だ。
同大統領は15日、キリストに抱きかかえられて、いかにも慰められているかのような自身の画像をSNSに再び投稿した。背後には、星条旗があしらわれている。トランプ大統領の“神憑(かみがかり)”は、相変わらず続いている……。





