利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(36) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

画・国井 節

悪しき政治は何をもたらすか?

アメリカとイランの緊張関係は幸い戦争に突入せずにとどまっているが、今度は新型コロナウイルスによる感染症が中国から始まって世界中に拡散し、世界を震撼(しんかん)させている。日本では、国会で引き続き政権の公私混同が追求されて、政府による東京高検検事長の定年延長が法律違反ではないかという疑いも投げ掛けられている。これが、今、私たちを取り巻く現実だ。

「徳義共生主義」でいう徳義に関して、昨年末の第34回では、たとえば仏教の八正道に即して行動するような徳が政治家には必要だと述べた。それでは、歴史的に仏教では、政治家に精神性がないとどのようなことが起こるとされてきたのだろうか。

伝教大師・最澄が『法華経』『仁王経』『金光明経』を鎮護国家の経典として重視してから、古代日本では仏教によって国家の安泰を実現するために大々的に読誦(どくじゅ)がなされた。これらの経典は、政治との関わりが深く、「護国三部経」といわれた。

仏典と現在

たとえば『金光明経』では、「治国の法」として、国王は仏教の真理、つまり「正法」に基づいて正しく国を治めるべきであるとする。この「正法」の原語は、「妙法蓮華経」でいう「妙法」と同じだ。

逆に、もし王が悪を遮ることなく、非法を増長させて国政を損じ、悪党がのさばり、諂(へつら)いや偽りがはやるようになると、「戦争が起こって国土が侵略・破壊される」「怒りや誹(そし)り・争いや邪(よこしま)なこと=姦(かん)・偽りなどの悪事が多くなる」「人々の財産が失われたり、悪風や暴雨、天災地変や異常気象による飢饉(ききん)、疾病などが流行する」というような災禍が起こるという(「四天王護国品」「王法正論品」など)。

今の世界でも思い当たることが多々あるような気がしないだろうか。日本でも昨年来、異常気象により大規模台風や水害が起こり、政権の違法行為についての疑いが大きくなり、官僚たちの「忖度(そんたく)」が目立ち、問題が露見しても責任を取らない政治家が続出し、経済が下降線をたどって貧困が増え、ついに疫病が広がり始めたからだ。

仏典には大げさな表現が多いと思う人がいるかもしれないが、現在の世界と対応しているとなると、鳥肌が立つのではないだろうか。逆に言えば、今こそ、こういった宗教的な洞察に耳を傾けるべきなのかもしれない。

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