おもかげを探して どんど晴れ(19) 文・画 笹原留似子(おもかげ復元師)

画・笹原 留似子

いのちの授業を受けた子どもたち(2)

前回に続き、いのちの授業を通した子どもたちの反応を紹介します。

どうして自分が生まれてきたのか、何のために生きているのか――そうしたことを考えることもなく、無意識に生きてきた今日までの日々。それが、何かのきっかけで生きていることを意識し始めた時、人は心の大きな成長期に入ります。人はどのような状況下においても、死ぬために生きているわけではありません。たとえ明日、死ぬことが分かっていても、人は最期のその時まで生きるために生きています。そして、必ずと言っていいほど、生きた証しや経験したことの中から生きる知恵を大切な人に遺(のこ)そうとします。ただ死んでいく人は、一人もいない。私はそう思います。

人の死には、生きる意味を教えてくれることがあり、それを知った時、悲しみや寂しさは生きることへの力強いエネルギーに変わります。死は、生きる意味や生き方を教えてくれる「存在」と言えるでしょう。

人は、生きている以上、誰でも死を迎えます。人だけではありません。いのちあるもの全てが、生命活動の終わりを迎えます。あなただけが、あなたの大切な人だけが、何百年も何千年も生きてくれるわけではありません。

生まれて早くに亡くなった小さな赤ちゃんは、「短いいのち」と、現場では言われます。でも、赤ちゃんがどのように生きたのかに目を向けてみると、現場の雰囲気は変わります。赤ちゃんは笑ったり、泣いたり、すやすやと寝ていたりするだけで、何か人の役に立つような行動をするわけではありませんが、何もしなくても、ただ存在しているだけでみんなを幸せな気持ちにしてくれます。何もしていないのではなく、無邪気に笑い、誰かを求めて泣き、自分が存在していることを相手を認識して一生懸命表現しているのです。人がどのくらい長く生きたのかということにだけ目を向けがちですが、その人が生きていたことに大きな意味があります。生や死を受け取る側が、いのちに対するしっかりとした価値観を持っていることが大切ではないでしょうか。いのちに対する自分の心の持ち方によって、それぞれの人生の意味が変わります。生きた意味に目を向け、かけがえのないいのちの尊さを表現し、伝えていくことで、人を癒やすことができると思うのです。

【次ページ:今日のうちに大切な人に感謝の思いを】