現代を見つめて(2) 希望という光を求め 写真・文 石井光太(作家)
希望という光を求め
「うちの国では、生まれた時から難民として育っている子が増えている」
難民の取材をしていた際に、ヨルダン人にそう言われた。2011年にシリアが内戦状態に陥ってから難民の流出が止まらなくなり、現在、隣国ヨルダンには六十万人の難民が暮していると言われている。
多くの難民たちは、荒野に設けられた巨大な難民キャンプに住んでいる。軍隊に守られ、様々な支援団体によって食糧や医療などを無償で受けられるようになっている。難民たちがやってきてすぐに子供を産めばもう五歳、きょうだいが一人か二人いておかしくない年齢だ。そして、何をするでもなく日々をすごさなければならない難民キャンプでは、こうした祖国を知らない子供たちが急増しているのである。
十年ほど前、私はパキスタンでもアフガニスタン難民の取材をしたことがあった。アフガニスタン戦争によって、隣国パキスタンに一千万人以上の難民が流れ込んだのだ。タリバン政権が崩壊した後、まだ戦争の炎が残っているにもかかわらず、大勢の人々が中古のバスに乗り込み、十数年ぶり、あるいは数十年ぶりに祖国へ帰還していった。
なぜ内戦がまだつづく国に帰るのか。私の投げかけた質問に、アフガニスタン難民がこう答えた。
「たしかにまだパキスタンの方が安全だけど、この国にいる限り難民として見なされ、肩身の狭い思いをしなければならない。幼い子供がそんなふうに生きて夢を奪われる苦しみがわかるか? それなら多少危険でも国に帰れるなら帰った方がいいんだ」
難民キャンプにいる限り、食糧や安全など命は保障されている。だが、生まれた時から難民キャンプに閉じ込められ、教育も仕事も極限まで限定された中で生きる生活は別の意味で闇に閉ざされている。
一昨年から昨年にかけて百万人以上の難民たちがキャンプを離れ、密航船などに乗って欧州を目指した。その途上で船の転覆などで死亡した人は少なくとも四千人に上るとされている。それでも難民キャンプを飛び出すのは金や安全のためというより、希望という光を求めてなのだろう。
では、かの地に本当に光などあるのか。それは迎え入れる私たちにかかっているといえるだろう。
プロフィル
いしい・こうた 1977年、東京生まれ。国内外の貧困、医療、戦争、災害、事件などをテーマに取材し、執筆活動を続ける。『アジアにこぼれた涙』(文春文庫)、『祈りの現場』(サンガ)など著書多数。近著に『砂漠の影絵』(光文社)、『「鬼畜」の家』(新潮社)がある。