おもかげを探して どんど晴れ(11) 文・画 笹原留似子(おもかげ復元師)

画・笹原 留似子

白いケーキと黒いケーキ

2018年を振り返ると、貧困や虐待に直面した現場が多くありました。

私が出会った、亡くなられた友達たちは、自分で食事を手に入れることができません。洗濯も掃除も、着替えさえも小さすぎてまだ自分ではできません。電気もガスも水道代も自力では払えず、育児放棄や暴力を振るう親に従い、頼るしかありませんでした。結果、電気もガスも水道も止められた中で、寒くて暗い部屋の中で凍えながら、結果としてたった独りで息を引き取っていきました。食事も水も与えられない彼らは、死を迎える時に涙を流しません。泣き続けても誰にも助けてもらえないことを経験し、異常な脱水状態により涙を流すこともできないまま、命を落としたのでした。

消防や警察に見つけてもらうわけですが、人を助ける使命を持った専門職の方々が、そのような形で亡くなった友達たちと対面した時の気持ちは、慰めの言葉も通用しないほどの心情です。私は、そうして息を引き取った友達のお世話をさせて頂くのですが、復元後には、担当刑事さんたちは声を詰まらせて泣いていました。本当に悲しいことですが、さまざまな経験をさせて頂いた私の立場からすると、そこには、一つの救いがあります。死を迎えた時に、血がつながらなくても本気で泣いてくれる人がいるという現状がそれで、その光景に私の心は支えられました。涙は、この子の存在を受け入れ、愛したからこそ出るものだと思います。

火葬場へ向かうお別れの時、刑事さんたちは小さな友達たちに、棒付きの飴(あめ)や紙パックのジュースなどを持たせてくれました。私たちも、小さなおにぎりとおかずが入ったお弁当を持たせました。「あぁ、お箸使えるかな?」。お弁当にセットしたお箸を見て心配になって私がそう言うと、担当刑事さんが「このくらいの子は、手を使ってモグモグ食べますから大丈夫です」。私も「そうですね」と言いました。

不思議なことがあるものです。納棺を担当させて頂いた後、亡くなられた方が四十九日を前にあいさつに来てくださることが私には多くあるのですが、四十九日でもないのに、棺(ひつぎ)に一緒に入れて持たせた、猿のぬいぐるみを大事そうに持ち、先日虐待で亡くなった子が私の枕元に立っていました。「おはよ」と私が声を掛けると、一度うなずき「んー、あのねー、ケーキ、ちょうらい(だい)。」と言いました。私も答えました「うん、いいよ。白いケーキ(クリーム)? それとも、黒いケーキ(チョコレート)?」と聞くと、「くろ……、んー、やっぱりね、しろ!」。左手に猿のぬいぐるみを持ち、右手を高く上げて満面の笑みで答えてくれました。朝5時ごろの、会話でした。

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