特集◆相模原事件から1年――私たちに突き付けられたものは?(4) ドキュメンタリー映画監督・森達也氏

昨年7月、神奈川・相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で、入所者19人が殺害され、職員を含む26人が重軽傷を負う事件が起きた。元職員の被告(事件当時26歳)は事件前に、大島理森衆議院議長(当時)に宛て、自身の犯行は社会的に正当であるといった内容の手紙を送っている。事件後には、被告の感情の一部を肯定するかのようなインターネット上の書き込みも散見された。この事件が起きた社会的背景について、3人の宗教者に話を聞いてきた。最終回では、事件とその後の報道を見つめてきたドキュメンタリー映画監督の森達也氏に、私たちが目を向けるべき課題について聞いた。

先入観を捨てて見てみる

――事件やその後の報道から見えてきたものは?

事件を起こした被告を、私たちとは違う、“凶暴なモンスター”のような存在として捉えていないでしょうか。事件後の報道から、僕は地下鉄サリン事件をはじめとしたオウム真理教による事件と、その後の社会の受けとめ方を想起させられました。

私たちは、オウム真理教による一連の事件について、麻原彰晃に洗脳された、残虐で凶暴な集団が引き起こした特殊なもの、という総括をしていないでしょうか。以前、僕はドキュメンタリー映画の製作のために、多くのオウム真理教の信者、元信者を取材しましたが、彼らと触れ合えば触れ合うほど、優しく、善良で、純粋な人間性が見えてきました。一方、そうした信者一人ひとりとの触れ合いがなければ、教団という組織のイメージだけが肥大化して、先入観で信者を見てしまっていたでしょう。「善人」「悪人」と単純に二分して判断しては、問題の大事な部分を見落としてしまうことを、このとき知りました。

極悪人しか罪を犯さないような、単純な世界などありません。善良な市民が、なぜ、地下鉄サリン事件をはじめとする事件を引き起こしたのか――オウム真理教の事件から、私たちは考えるべきでした。しかし、「自分とは違う異質な存在が引き起こした」と線引きし、人々は思考停止に陥った。今回も同じような視点で、相模原事件を見てしまっているように感じます。私たちと同じ人間が引き起こしたと考えなければ、社会が抱えているものが見えなくなってしまいます。

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