特集◆相模原事件から1年――私たちに突き付けられたものは?(4) ドキュメンタリー映画監督・森達也氏

心の内を見つめることから逃げない

――こうした時代に、宗教が担える役割とは?

この事件を容認することは到底できません。しかしながら、私たちが決して忘れてはならないのは、被告もまた、私たちと同じ一人の人間であるということです。宗教は、「人は人を赦(ゆる)せる存在である」ということを説き続けてきました。誤解してほしくないのですが、「赦す」というのは、罪を軽くするということではありません。一人ひとりのいのちが平等に尊いという意味であり、それはどんなに残忍な罪を犯した被告であっても例外ではないのであって、宗教者の方にはそのことも考えてほしいと思っています。

自分には容疑者のような差別意識はないと線引きをして、考えるのをやめるのは簡単なことです。しかし、「善人」「悪人」と分けて考えることが社会の問題を解決することにはならないと考えます。なぜなら、人は誰もが自分と他人を区別する心を持っていますし、それが差別心になることが多くあるからです。そうした心があることを認識することからしか、こうした事件をなくしていく出発点はないのではないでしょうか。一方で、差別を乗り越える優しさのような側面も誰もが持ち合わせています。善と悪といった二項対立で物事を考える風潮の社会の中で、一人の中にある善人的な部分、悪人的な部分があることを宗教者が明らかにし、攻撃性を柔軟な心で包み、中和していくような語り掛け、触れ合いを担ってもらえればと願います。

現在、被告の特異性や事件当時の心の状態については、精神鑑定などによる検証が試みられています。事件の全貌や被告が犯行に及んだ動機や背景が明らかになるには、裁判の行方を見ないと分からないことも多いでしょう。今後、動向を注視しつつも、自らの問題、自分が生きている社会の問題として考えることが必要であることに変わりはありません。

プロフィル

もり・たつや 1956年、広島県生まれ。ドキュメンタリー映画監督、作家。明治大学情報コミュニケーション学部特任教授。テレビ制作会社を経てフリーとなり、数多くの報道・ドキュメンタリー系映像作品を手掛ける。最新作品は“ゴーストライター騒動”で話題となった佐村河内守氏に密着した『FAKE』。著書に『下山事件』(新潮社)、『死刑』(角川書店)など多数。