【ルポ】歴史に向き合い感じた「戦争」の現実 学生部員が沖縄で平和学習

戦争を否定し、平和を愛する「沖縄のこころ」を学ぶ

この後、15歳から19歳までの女学生が看護要員として動員され、多くの学生が犠牲になった「ひめゆり学徒隊」の悲劇を伝える「ひめゆり平和祈念資料館」(糸満市)を見学した。

「ひめゆりの塔」に慰霊の誠を捧げる学生部員

資料館に展示されている、自身と同年齢の「証言」を読んだ女子高生(17)は、「手術の際に、『頑張ってください』と患者の手を握ったまま腕を切断したら、そのまま手が離れなかったとありました。私と同じ年の子がそんな体験をしていて、もし私がその場にいたらと思うと、怖くなりました」と、緊張した面持ちで語った。

「ひめゆりの塔」から糸満市摩文仁の平和祈念公園に向かう街道沿いには、人の住んでいる気配が感じられない家が点在している。玄関先に、石碑が建てられている家もあり、周りの家とは違う雰囲気を放つ。バスガイドの女性が、「あれは沖縄戦で一家全滅となった家族の家です。亡くなった家族を弔うために残されています」と説明してくれた。家は、親戚や近隣住民により、手入れがなされてきた。あるじを失った家は沖縄戦の悲惨さを伝え、それを守ってきた人々からは、風化させてはならないとの意志が感じられる。だが、72年が経った今、「いつまでも残しておくのか」と、取り壊しの声が上がっているという。

沖縄本島南端の摩文仁の丘に着いた。学生たちは平和祈念公園に入り、沖縄戦で亡なくなった全ての人の氏名が刻まれた「平和の礎(いしじ)」や平和祈念資料館を見学し、平和祈念堂で学習会最後の慰霊供養を厳修。人間の尊厳を何よりも重く受けとめ、戦争を否定して平和を愛する“沖縄のこころ”を学んだ。

平和祈念資料館で戦争体験集に目を通した

沖縄最後の夜、海辺で学生たちは2日間を振り返った。全体での発表の場で、3年生の女子中学生が涙をこぼしながら、胸中を打ち明けた。

「沖縄戦では、人々の命がどれほど軽く見られていたのかを学びました。私のおじいさんも、回天(人間魚雷)に乗って、死ぬはずでした。でも、その前に戦争は終わりました。だから、私はここにいることができます。おじいさんが生きていてくれて、本当によかったと思っています。ですが、たまたまおじいさんは生き残っただけで、戦争はどんなことがあってもしてはならないと感じました」と述べた。

「今ある自分の命が当たり前ではないことを実感した」といった声も聞かれた。さらに、「平和は創造するもの」と、誰かが成し遂げてくれるだろうと頼るのではなく、自らがつくり出していく意義を学んだという声も上がった。中学2年生の女子は「戦争とは人が人でなくなることを、肌で感じました。沖縄で見たもの、聞いたこと、感じたことを心に刻み、周囲の人に伝え、『戦争はいけないことなんだ』としっかり訴えていける人になります」と語った。