【ルポ】歴史に向き合い感じた「戦争」の現実 学生部員が沖縄で平和学習

語り部の切なる願いに耳を傾け

旧海軍司令部壕を見学

一行はこの後、読谷村役場や旧海軍司令部壕(豊見城市)を訪問。慰霊塔の前で手を合わせ、題目を三唱し、慰霊の誠を捧げた。このほか、学習会では、各戦跡で慰霊を行い、その際に奉納されたのが、参加者一人ひとりが犠牲者への追悼と平和への祈りを込めて折った鶴だ。計4500羽を超える折り鶴には、「世界平和」「全ての人が笑顔に」といったメッセージが書かれている。

その夜、学生たちが泊まるホテルでは、「夜のつどい」が行われ、吉村美佐子さん(73)=本会沖縄教会=が語り部として招かれた。吉村さんは、戦後の米軍占領下での生活に触れ、配給の食材では足りずにカタツムリをおかずにして空腹をしのいだ貧しい暮らしや、米国の出先機関である琉球列島米国民政府発行のパスポートと予防接種をした証明書が無ければ日本本土に渡れなかった過去を述懐。「私はどこからどう見ても日本人なのに、アメリカの占領下にあるがゆえに、日本人として扱ってもらえませんでした。とても悔しかった」と語った。

戦後の状況や米軍占領下の生活について話す吉村さん

学生たちは朝4時に起床して沖縄に飛び、その足で沖縄の戦跡を回って、疲れているはずだが、吉村さんに真剣なまなざしを送る。「今日まで、沖縄が虐げられてきていることは事実です。いつも、沖縄の人たちの悲痛な声が皆さんの心に届いているのかな、どれだけ関心を持ってくれているのだろうかと不安になります。ですが、こんなにも真剣な面持ちで学生の皆さんが聴いてくださって、こうやってお伝えするのは、無駄ではないと感じます」と、吉村さんは笑みをこぼした。

米軍の占領下、日本本土に渡るにはパスポートと予防接種の証明書が必要だった

吉村さんの話が終わると、学生たちは一日を振り返り、6人が自ら手を挙げ、感想を発表した。

中学2年生の男子は、旧海軍司令部壕に残る、幕僚が自決する際に使用した手りゅう弾の痕に言及。「生々しい痕を見て、司令部の人が自ら命を絶ったということに衝撃を受けました。これまでは、教科書で学んだことや人から聞いた話から、民間人や最前線で戦っている兵士ばかりが苦しんで、指令を出す人たちは高みの見物だと思っていたからです」と、発表した。

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