「発達障害啓発週間」特集 誤解や偏見をなくし、共に生きる社会へ(2)上
やっぱり息子のことを分かっていなかった
首都圏に住む橋爪京子さん(53)には、6人の子供がいる。19歳になる次男の恭二さんと三男の浩三さんは双子で、恭二さんには生活上の細かな「自分ルール」が数多くあった。例えば、入浴の順番、自室の家具の配置、10分以上の手洗いをしないと次の行動に移れないなどのこだわりだ。
3年前、恭二さんは、周囲の勧めで発達障害の検査を受け、「自閉症スペクトラム障害(ASD)・アスペルガー症候群(AS)」と診断された。「自閉症スペクトラム障害・アスペルガー症候群」は物事へのこだわりが過度に強く、気持ちの切り替えが難しいとされる。また、能力が高い分野と全くできない分野があるのが特徴で、さまざまなことが平均してできるというのとは対照的だ。診断を受けた時、自治体の福祉の専門家からこう言われた。
「発達障害のある10代後半のお子さんを育てていると、つらいことがたくさんあると思います。ただ、本人はもっと生きづらさを抱えていて、お母さん以上につらいんですよ」
その言葉を耳にし、橋爪さんは〈やっぱり息子のことを分かっていなかった〉と胸が痛んだ。ありのままのわが子を受け入れたいと思う半面、息子のこだわりからトラブルが起きると苦しくなり、息子を責めたくなることもあったからだ。
「でも、いちばん苦しいのは本人だったのです。この後、息子に『自分のつらいところにばかり目がいって、あなたの気持ちに気づけなくてごめんなさい』と謝りました」
実は、浩三さんにも、収集癖や人とのコミュニケーションが苦手など、軽度の発達障害の兆候が見受けられる。浩三さんは幼少期から、注意しても同じ失敗を何度も繰り返し、気に入った一つの物を執拗(しつよう)に集める癖があったという。
2人が小学校に入学すると、学習面で得意と不得意の科目が際立ち、パズルや迷路を解くことを得意としたが、文字を覚えるのは時間がかかった。集団行動や人とのコミュニケーションは苦手で、特に恭二さんは、友達からのいたずらなど突発的な事態に対処できず、体が硬直して動けなくなるのだった。この頃、電車やバスにも乗ることができなくなった。
その後、学校に通えなくなり、発達障害児の支援学級に週1回通学。子供は成長とともに症状が緩和される可能性があるため、発達障害とは断定されなかったが、その傾向はずっと続いた。
中学校入学の年、郊外に引っ越したのを機に、橋爪さんは中学校の教諭や保護者、近所の住民など周囲の人に、2人の息子の状態を伝え始めた。それは、息子たちの状況を心配して家庭訪問に来た教諭の、「できないことは、できないと言わないとつらくなりますよ。人に迷惑をかけないで生きられる人は誰もいないのですから、気にせず何でも言ってください」との言葉に勇気づけられたからだ。実際、息子の状態を知った人は理解してくれ、トラブルが起きても多くの人が助けてくれたという。