若者を取り巻く過酷な現状 庭野平和財団公開シンポジウム『“格差”を越えて』(2)

庭野平和財団による公開シンポジウム『“格差”を越えて』が3月4日、佼成図書館視聴覚ホール(東京・杉並区)で開催された。基調講演の後、生活困窮者の住宅支援に取り組む一般社団法人「つくろい東京ファンド」の稲葉剛代表理事、最低賃金の引き上げを求める市民団体「AEQUITAS(エキタス)」の藤川里恵氏が、「現場からの報告」を行った。それぞれの発言要旨を紹介する。(文責在編集部)

▼大沢真理・東京大学教授の基調講演はこちらから

職場、生活の場を追われる若者たち

稲葉剛氏

生活困窮者の相談支援に携わる中で、2004年頃から若者の相談が増えてきました。「住まい」という生活の一番の基盤を確保するのにも苦労する状況が、若年層に広がってきています。

若者が生活困窮に至るパターンの一つとして、ブラック企業の問題があります。非正規雇用が広がり、正社員の採用枠が狭まる中、企業が新卒の若者の足元を見て正社員として大量に採用し、過重な労働をさせて使い捨てています。過酷な労働環境で睡眠時間を削って働く若者の多くは、うつ病などで精神を病み、退職を余儀なくされます。そして、最終的に生活困窮に陥ってしまうのです。

また、路上生活に至らずとも、インターネットカフェに寝泊まりする「ネットカフェ難民」の置かれた状況も問題です。最近では、「脱法ハウス」と呼ばれる窓のない2~3畳の空間を貸し出すビジネスも広がっています。

2014年に、低所得の若者たちがどこに暮らしているのかを調べる調査が行われました。ビッグイシュー基金によると、インターネット調査に協力した年収200万円未満の若者1767人のうち、全体の4分の3以上にあたる77.4%が、親と同居していると回答しました。この数字から、経済的な理由で親元を離れられない若者の姿が浮かび上がってきます。

一方、親と別居している若者のうち、13.5%が住まいを失った経験があると答えています。実に7~8人に1人の割合がホームレスの経験をもつという結果です。仕事が不安定であるがゆえに、住まいも不安定化するわけです。

欧米では、若者への住宅支援制度が確立しています。若者の住宅を確保することが、少子化対策にもなり、社会のサイクルをつくっていく上で必要である、という意識が共有されているからです。

これに対し、日本の政府にはこのような発想はなく、若者が経済的な理由で家族に依存せざるを得ないのです。さまざまな理由で家族に頼れない若者は、ホームレスになるリスクを多分に抱えているということでもあります。

日本型雇用システムの崩壊 共存への知恵を出すとき

日本の住宅政策はこれまで、企業の終身雇用・年功序列制度に支えられてきました。男性の稼ぎ主が中心となり、妻は専業主婦ないしパートで補助的に家計を支えるという家族モデルが前提の制度です。

私はこのモデルの男性の生き方を、“男の人生すごろく”と呼んでいます。若いうちは社宅や住宅補助など、企業の福利厚生によって住まいを維持し、結婚と同時期にマイホームを購入して長期の住宅ローンを組む。定年頃までにローンを払い終え、後は悠々自適の年金生活を送る。「こういう生き方をすれば貧困に陥らない」という共通の意識がありました。しかし、日本型雇用システムが崩壊した今、住宅政策自体も袋小路に入っています。

住宅費や食費、医療費、教育費など、人間が生きていく上で最低限かかる費用のことを、「ベーシックニーズ」と呼びます。現在はこれを商品化する方向に社会が進んでいます。消費を促す狙いがあるのでしょうが、賃上げがなされなければ、人々の生活を圧迫するだけです。

若者たちは将来を見通すことのできない状況に置かれています。従来の“男の人生すごろく”のような生き方を前提とした社会を脱し、誰もが自分自身のライフコースを選べる社会を目指していかなければなりません。生き方を選べる自由を保障するために、今進んでいる方向とは逆に、ベーシックニーズの低コスト化を図っていく必要があると思います。

誰もが当たり前に生きていける社会へ

藤川里恵氏

私の活動するエキタスでは、最低賃金を時給換算で1500円に引き上げることを求める活動を行っています。この金額は、全国労働組合総連合の「生計費原則」を基に算出し、年収から税金や保険料を差し引いても、生活がなんとか成り立つラインに設定しています。

日本では、賃上げを求めること、給料の話をすることは恥と思われがちです。自分の能力の無さや努力不足を宣言したと見なされるからです。たとえ生活が苦しくても、「みんな大変だから我慢しろ」という社会の圧力もあると感じます。

しかし、貧困は自分だけの責任ではありません。生活が成り立たないほどの低賃金しか払わない企業側、十分な社会保障制度をつくっていない国側にも責任があります。

だからこそ、貧困の定義をつくり変えることが必要です。例えば私という個人が「私は貧困です」と主張した時、それを聞いた方が、「それは貧困ではない」とか、「自分ももしかしたら貧困かも」とか、何らかの感情を持つと思います。そうして敢えて摩擦を生んで関心を高め、議論を呼び起こすことで、貧困問題を幅広く考えていきたいのです。

誰もが当たり前に生きていける社会にしたい――。エキタスの活動が、その足掛かりになればと思い、取り組んでいます。