SNSの時代に宗教はどうあるべきか カトリック教会でシンポジウム

この後、質疑応答が行われた。SNSやインターネットは危険なものではないかとの質問に対しては、阿部氏が「SNSやインターネットは道具にすぎないので、ナイフと同じで使う人の志や気持ちでいかようにもなる。使う人の心のあり方が出発点であり、その教育が必要。若い人たちと気持ちを共有しながら人を育てていきたい」と話した。志立氏は、「インターネットのコミュニケーションを通じて、過激派に引き寄せられたのは不幸なことだ思う。ただ、既存の宗教の方には、そうした人々を救える可能性は、SNSなどによって広がっていると受け取ることができるのではないか」と答えた。

会場からの質問に対し、自らの考えを述べるパネリスト。右から志立氏、阿部氏、中山氏

また、「インターネットは万能か」との問いには、阿部氏は、「人間関係を築いていくには、面と向かって名乗り合い、関心を持った人に話し掛けていく一対一のつながりが大切であり、地道に人と会っていくしかない」と回答。志立氏は、「インターネットで情報を発信しても反応がないのが大半であり、反応があるのは良い方。また、ファーストタッチはインターネットが有効であるが、関係が深まる手段としては、実際に会うのが重要で、特に宗教では、感覚や思考を深める、気づきを得るといったことがとても大切であるから、会って互いの存在を深く確認し合えるコミュニケーションを織り交ぜるのがいいのでは」と語った。さらに、インターネットで情報を発信する際、チームを組んで行う有効性についての質問が出された。これに対してパネリストからは、ローマ教皇フランシスコやソフトバンクグループ創業者の孫正義氏によるツイッターのつぶやきも、掲載前に、多くの人の手によって確認がなされており、情報発信には慎重に丁寧に行われているとの説明がなされた。