SNSの時代に宗教はどうあるべきか カトリック教会でシンポジウム

日本カトリック神学会の阿部仲麻呂理事

次いで阿部氏は、インターネットが世界で普及し始めた1997年から利用し、SNSについても「新しいものに飛びついてきた」と自らの経験を踏まえながら話を進めた。冒頭、SNSとは、社会のさまざまな情報を結びつけながら、全体が豊かになるよう協力する関わりを重視したものであるとの認識を示し、社会の中で異なる価値観の人を結びつけて協力関係を促進する宗教と、「関わり」という点では共通性があると指摘。SNSにも宗教にも、「自分さえ良ければという自己中心的な立場から抜け出して、他者と一緒に成長していくという歩みが求められる。そう考えるなら、SNSも宗教も、自分に閉じこもって自身の利益だけを願う、勝手気ままな動きをしてしまうと失敗する」との見解を述べた。

しかし、SNSには、自慢話を書きたくなり、他人からの意見には過激に反応してしまう傾向が強く、「自慢か批判か」という自己中心的な態度に陥ってしまうことが多いため、「一人で発信する場合において、SNSは宗教にとって意味がないのではないかと考えるようになった」と話した。独り善がりに陥らずに、宗教が正しい情報を発信していくには、チームをつくることが有効であるとし、意見を出し合って客観的な視点で内容を精査することが、正しい情報の発信につながると力説。そうしたチームによる取り組みの一例として、SNSではないものの、ウェブサイト「霊性センターせせらぎ」を挙げ、「発信する人の誠実さが土台にあって初めて道具が役に立つと言える。心を整える上でも、チームである方がいい」と訴えた。

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