普門館とわたし(1)

厳しい練習を乗り越えて

「普門館とわたし」と聞いて思い出すのは、全日本吹奏楽コンクールの全国大会で演奏したことです。中学1・2年生の時と高校3年生の時の計3回、演奏しました。

中学当時から「目指せ普門館!」のようなキャッチフレーズで部活全体は盛り上がっておりましたが、まだ入部して数カ月の私を含むあまり熱心に取り組まない数名に対して顧問の先生は、「お前たちはディズニーランドに行きたくないのか?!」と、全国大会の演奏後のご褒美をエサに、あの手この手で頑張らせようとしていたように記憶しております。結局、不純な動機で普門館に来てしまったため、会場に入った瞬間に取り組みの甘さを痛感させられました。ステージをはじめ、観客席を含めた普門館全体の度肝を抜く広さや、黒を基調とした吸い込まれるような光景は、これまで見てきた他のホールとは違う、全くの異空間であり、覚悟の無い自分には恐怖でしかありませんでした。

中学2年時はそこそこ頑張っていましたが、それでも普門館の壁(と勝手に思い込んでますが)に阻まれて、納得のいく演奏ができず、今度は悔しさが出てきたように思います。「次こそは!」と意気込んで臨んだ中学3年時は、早々と予選敗退し、中学時代のコンクールはあっけなく終わりを迎えました。

その後入学した高校の吹奏楽部で、1・2年時には普門館まで到達することができませんでしたが、最後の年に全国大会へ進出でき、普門館での演奏が叶いました。この1年間は特に思い出深いものでした。

「目指せ普門館!」だったのは最初の頃だけで、途中からは先生に「感謝」を説かれる日々でした。「こんなにも練習に没頭できる状況は、当たり前ではない。にもかかわらず、この瞬間を提供するために頑張ってくれている親や学校に感謝できない君たちに、聴衆を感動させる演奏なんかできるはずがない」と言われ、生徒たちは考える機会を多く持つことになりました。部活動という枠組みのもと、あらかじめ決められた目標へ向けてただ練習をすれば良いと思っていた考えを改め、なぜこの場にいるのか、今すべきことは何なのか、苦しみながらも自分たちなりの答えを見つけることができ、結果として普門館にたどり着けたのだと思います。

今まで怖いと思っていたステージからの光景が噓(うそ)のように、この時は気持ちよく演奏させてもらいました。母校初の金賞も頂けましたが、結果よりも練習を通して日に日に成長していくみんながとても誇らしく、普門館で演奏する頃には晴れやかな顔に満ち溢れていたのがすごくうれしかったのです。部長を1年間担わせて頂いておりましたが、頼りがいのない部長がまとめている団体とは思えないくらい、みんなが主体的に取り組んでくれたことに、今でも感謝しています。

やっと素直にありがとうと言える年齢になったときには、普門館は役目を終え、その形を消そうとしています。青春の1ページを、静かに支え続けてくれていた普門館。あの頃の思い出が今も色あせないのだから、姿をなくそうとも、きっと普門館の記憶も心の中に有り続けるのでしょう。また会いましょう、今までありがとうございました。
(小倉パン・36歳男性・会社員)