特集・ありがとう普門館(1) 厳しくも愛おしいホール、それが普門館だった 大阪府立淀川工科高校名誉教諭・吹奏楽部顧問(一般社団法人・全日本吹奏楽連盟理事長) 丸谷明夫
胸にはいつも、普門館
指揮台を降り、客席に向かって一礼し、顔を上げパッと天井に目をやりました。広々とした天井には小さな無数のライトが灯(とも)っていて、まるで星空のようでした。ゴージャスさと同時に、都会を離れ、空気のいい場所で見上げたさわやかな空――吸い込まれるような天井の美しさに、そんな印象を受けました。1977年、大阪府立淀川工業高等学校(現・淀川工科高校)が出場した「全日本吹奏楽コンクール全国大会」で初めて普門館の舞台に立った時のことです。5000人を収容できる巨大なホールもさることながら、ロビーも広くて豪華で、ゆったりとした客席は応接室のようにくつろげる空間でした。
生徒たちも驚きを隠せない様子でした。コンクールは1日目が中学の部、2日目が高校の部だったので、生徒たちと中学の部のチケットを購入して会場に入り、客席の最前列からホール全体を見渡しました。舞台側から見た場景に少しでも慣れておくためです。広いホールなので、どこに向かって演奏すればいいのか分からない。そんな生徒たちの戸惑いと緊張が伝わってきました。
吹奏楽に携わる者にとって普門館は憧れの場所でした。名前の響きもいい。演奏するステージの床は黒一色、生徒たちはその黒い舞台に立つことをいつも夢見ていました。
普門館のイラストと「We Love Wind Music!」の文字が刷られた消しゴムを使っている生徒もいました。普門館を目標に毎日の練習の原動力にしていたのでしょう。生徒たちとはノートを交換していますが、“普門館の舞台で演奏しているつもりで練習します”と書いてくる生徒もいました。生徒たちの心をつかんだ神聖な場所、それが普門館でした。保護者や吹奏楽愛好家も客席側から手を伸ばして舞台の感触を味わっていました。みんなの憧れ、まさに「吹奏楽の聖地」です。
ホールの床を張り替えた2007年には、細かく切った床の切れ端が来場者に配られましたが、「甲子園の土」ならぬ「普門館の床」として大切にしている人は多いはずです。