庭野平和財団GNHシンポジウム特集3 哲学者の内山氏が基調講演(後編)

『現代社会とパラダイムの転換――私たちはどこへ向かおうとしているのか』をテーマに10月18日、庭野平和財団の「第9回GNH(国民総幸福)シンポジウム」が開催された(ニュース既報)。この中で、NPO法人「森づくりフォーラム」代表理事で、哲学者の内山節氏が現代社会の状況と課題、さらに転換の兆しについて基調講演を行った。その内容の後半部分(要旨)を紹介する。

価値が見直される伝統的な暮らし

かつて、都市と農山村・漁村は、「共に生きていく関係」を持っていました。それが、戦後の高度成長期に離れてしまった。農村も漁村も山村も、その全てが僻地(へきち)の扱いになってしまっています。だけど今、そこに住んでいる人たちが東京から人を呼ぶなどしながら、さまざまな都市との関係を再構築しようとしています。都市にいる若者たちもまた、農山村や漁村に住む人たちと関係を再構築しようとしている。今はそういう時代で、昔の共にあった都市と農山村・漁村の関係を取り戻そうとしている。これも伝統回帰なのだろうという気がします。

現代の若者を見てみると、結構信仰的だなという印象を受けます。ただし、私たちが現在、「宗教」「信仰」として理解しているものとは、少し違う意味においてです。

宗教や信仰といった言葉は明治時代に日本に入ってきた翻訳語で、明治以前はこうした概念はありませんでした。一方で、日本では昔から仏教が浸透していましたし、自然の中には神さまがたくさんいた。

では、宗教や信仰でなければ何か、ということになるのですが、それは生活や仕事、自然の中で生じる人間たちの「祈り」、暮らしや地域などさまざまなものと分けられない形で、その全てに宿る「願い」といったものです。それらは、時には仏さまに、時には神々に手を合わせる形で成立していました。

現代の日本では、どこかの宗教団体に所属しようとする人は減少気味ですし、「あなたの信仰は何ですか」と問われると、「私に信仰はありません」と答える人たちが多い。しかし、不思議なことに、祈りや願いを通して共に生きる社会をつくってきたという伝統を、素朴に受け入れようとしている若者が増えている気がします。

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