庭野平和財団GNHシンポジウム特集2 哲学者の内山氏が基調講演(前編)

水をくみ上げるためにつくられた日本の電力会社

当時、地域電力会社が何を目的にしたのかといえば、水をくみ上げることでした。日本は、水は結構豊富なのですが、使える水はそんなに多くありませんでした。生活用水は井戸を掘れば何とかなります。しかし、各地に広がる水田は大量の水が必要で、目の前に川が流れているのに、川というのは水田よりも低地に流れていて、下から水を上にくみ上げるのは非常に大変で、実際には不可能でした。

農業用水として、九州などには、水車を使って水をくみ上げる地域もありましたが、せいぜい何十センチしかくみ上げることはできません。下から何メートル、何十メートルも水をくみ上げることはできなかったのです。そのため、かなり上流の方で長い用水路を造って、田んぼまで持ってくるということをせざるを得ませんでした。ただし、水は土にしみ込みますから、用水路の途中で水がだんだん少なくなってしまいます。特に砂地の場所などでは大変なことで、粘土質の土を運んできてしっかり固めるといったように、いろいろなことをやってきたわけですね。ところが日本は地震が多い国ですから、用水路が地震で壊れてたちまち水が足りなくなる、ということも起こります。ともかく水をどう確保するかが課題で、農村では苦労していました。

その時に、電気を使って水をくみ上げることが可能だといわれて、地域の人たちを何とかこれまでの苦労から解放してあげたいということで、電力会社をつくり、水をくみ上げることになったのです。それを地域の金持ち、いわば資産家たちが実行したわけです。これが日本の電力会社の始まりです。あの頃は電気製品もありませんので、余った電気、電力を各家庭に配って、電灯というものが設けられました。当時の電気製品は、電灯ぐらいしかありませんから、そんな感じだったわけです。

ただ、電気、電力は安定してくれないと困ります。それで広い地域で協力していくことになり、より効率的な電力会社になっていきました。このように、電力会社の始まりは、現代のソーシャルビジネスだったのです。それが戦時中、国策で「日本電力」になり、戦後になるとGHQの方針で9電力(会社)体制がとられ、具体的には東京電力とか東北電力とかがつくられて、今日の形になっていきました。ですから、今の電力会社がソーシャルビジネス系だとは到底思えませんが、しかし、出発点はそういうことでした。

日本の企業の成り立ちを見てみると、ひたすら金儲けをしようと思ってつくられたわけではなく、かなり多くの企業が「地域の人たちのために」とか「社会のために」という考えからつくり出されてきたのです。今、こうしたことを取り戻そうとする動きが見られます。これも一つの伝統回帰の現れでしょう。

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