唯仏与仏
唯仏与仏(54) 立正佼成会 庭野日敬開祖法話
人間はだれ一人として、自分だけで生きていけるものではありません。多くの人さまに支えられ、また自分も人さまを支えることによって、人間社会が成り立っているのです。それは自然の成り立ちであり、支え合う関係のなかで、毎日のいとなみがあるのです。
唯仏与仏(53) 立正佼成会 庭野日敬開祖法話
私が小さいころ、祖父がよく言い聞かせてくれたのは、「世のため、人のために、役立つ人間になるんだぞ」ということでした。人のために役立つ人間が尊いのは確かです。そして、人のために生きることほどありがたく、楽しいことがほかに見当たらないのも確かなことなのです。
唯仏与仏(52) 立正佼成会 庭野日敬開祖法話
比叡山(ひえいざん)に延暦寺を開いた伝教大師最澄(でんぎょうだいしさいちょう)に、「一身弁(いっしんべん)じ難(がた)く、衆力(しゅうりき)成(じょう)じ易(やす)し」というお言葉があります。大きな仕事を成功させようとすると、自分一人の力では限界があると知らされます。大勢の力を合わせると、それが容易にできるのです。
唯仏与仏(51) 立正佼成会 庭野日敬開祖法話
私はよく長沼妙佼(みょうこう)先生(脇祖)から、「会長先生のように、人の話をすべて信用していると、いつかだまされて、ひどい目に遭いますよ」といわれました。それでも私は、「だまされてもいい」というのが信条でした。それがその人のためになるならば、「だまされてもいい」という気持ちでした。私をだましたことによって、その人が後味の悪い思いをして反省してくれれば、それによって私も一つ布施(ふせ)の行ないができたことになります。
唯仏与仏(50) 立正佼成会 庭野日敬開祖法話
ふだんから、なすべきことをきちんと行ない、ごまかしのない正直な気持ちで神仏に合掌すると、神さま仏さまに後押しをしていただけるように思えて、すがすがしい気持ちで過ごせます。
唯仏与仏(49) 立正佼成会 庭野日敬開祖法話
人生のさまざまな経験を積み、知恵が身についてくると、その経験や知恵が逆に作用し、人に負けまいとしたり、ものごとを自分の思うように運びたいという気持ちが強くなったりして、正直で素直な心をおおい隠してしまうのです。
唯仏与仏(48) 立正佼成会 庭野日敬開祖法話
日本人の徳目の一つは、正直さだと思います。正直な気持ちでふれあっていると、いつもなごやかに、楽な気持ちで過ごすことができます。反対に、見栄(みえ)や体裁をとりつくろおうとすると、ぎこちなくなって、居心地が悪くなるものです。そんな経験は、だれにもあるのではないでしょうか。
唯仏与仏(47) 立正佼成会 庭野日敬開祖法話
だれしも、家庭や職場のなかで困難な問題に直面するものですし、また、それを無難に解決できた経験も多いはずです。そんなとき、それを「目に見えない存在の働き」と受けとめることができるでしょうか。私は、そういう大きな力に守られ、導かれていることを確信できる人こそ、この世でいちばん幸せな人であると思います。
唯仏与仏(46) 立正佼成会 庭野日敬開祖法話
いつもお話しするように、「方便品(ほうべんぽん)」に、「我本誓願(われもとせいがん)を立(た)てて 一切(いっさい)の衆(しゅ)をして 我(わ)が如(ごと)く等(ひと)しくして異(ことな)ることなからしめんと欲(ほっ)しき」というお言葉があります。
唯仏与仏(45) 立正佼成会 庭野日敬開祖法話
「慈悲」の「慈」は「まわりの人を幸せにしてあげたい」という心で、「悲」は「人の苦しみを抜いてあげたい」という心です。これをわかりやすくいえば、「思いやり」ということになります。苦しんでいる人を見れば「ああ、お気の毒に」と思い、「何とかしてあげたい」と思う心です。そして、その「思いやり」を実践に移すことです。