東日本大震災から10年 各地で慰霊と復興への願い

被災地の会員の声

地域に尽くしたい 少しでも恩返しを

釜石教会主任(68歳・女性)

10年前、避難した高台から津波で自宅や愛車が流されていくのをぼうぜんと見ていました。避難所では夫が肺炎を患い、入院しました。不安ばかりが募る毎日でしたが、病院の近くに住むサンガ(67)が、夫のそばにいられるようにと、しばらく家に泊めてくれたのです。優しさが身に染みました。

その後の8年間、仮設住宅で生活し、多くのご支援を頂きました。以来、少しでもご恩返しをと、人さまに尽くすことを心がけてきました。

地域には今も、孤独を抱える人が少なくありません。私は、一人暮らしの方に声をかけ、引きこもりがちな青年の話に耳を傾けるようにしています。幸せになってほしいとの願いからです。

一昨年、陸前高田市に自宅を再建し、平穏な日々に改めて感謝しています。今後も慰霊と復興の祈りを捧げ、苦しんでいる方に寄り添っていきたいと思います。

不安だった日々の支えは教えと音楽

石巻教会会員(32歳・男性)

あの日、津波で自宅が浸水し、教会道場に避難しました。不安がありましたが、サンガと共にいるとそれが和らぎ、皆で地域の被災家屋の片付けに当たりました。大変な中でも、そうした実践ができたのはサンガと、教会で学んだ「まず人さま」の教えのおかげです。

ラジオから流れる音楽も元気づけてくれました。私も被災した方々を音楽の力で癒やし、希望を持ってもらいたいと思い、地域の仲間と協力して、その年の10月、宮城県女川町で野外音楽イベントを開催しました。多くの反響を頂き、毎年続けてきました。昨年は新型コロナウイルスの影響で中止しましたが、コロナ禍が収束したら再開するつもりです。

イベントを開いてきた仲間の女性と結婚し、今、2人の息子がいます。子供たちには被災体験を語っています。人に寄り添える人間に成長してほしいとの願いからです。

奔走するサンガの姿に胸を打たれて

原町教会会員(74歳・男性)

東京電力福島第一原子力発電所の事故で自宅が避難指示区域に入り、すぐに避難所に逃れました。それから間もなく、入院中の母が亡くなり、震災の混乱の中で葬儀も行えないまま母を荼毘(だび)に付しました。

悲しみを抱えて教会を訪れると、幹部さん方がサンガの安否確認に奔走していました。ご自身も家族の行方が分からない、自宅が大きな損害を受けているといった大変な思いをされているにもかかわらずです。その姿に胸を打たれ、私も人に尽くしたいと強く思いました。

以来、教えを学ぶようになり、サンガに励まされて、感謝を忘れずに懸命に生きることを心がけてきました。6年前から復興公営住宅に住み、自治会長を務めています。被災者同士、今後も思いを分かち合いながら、目配り、気配り、思いやりを大切にして、皆さんと触れ合っていきます。

込み上げた切なさ 受けとめてくれた

磐城教会支部長(44歳・女性)

10年前の震災直後、2歳だった娘を迎えに急いで保育所に行くと、保育士さんたちが園児を抱きかかえ、必死に守ってくれていました。その時の姿がとても有り難く、今もよく覚えています。

わが家は津波で流され、避難生活を送りました。その後、夫が経営する会社が倒産し、多くの困難に直面しました。とめどなく切なさが込み上げた時、サンガがそばにいて、「絶対に大丈夫」と励ましてくれました。

震災当時小学2年生だった長男は今年、高校を卒業し、春から地元で海の安全を守る仕事に就きます。たくさんの方に支えられて今があります。「おかげさま」の気持ちを忘れないために毎年3月11日が近づくと、子供たちに当時の状況や体験を伝えてきました。

地域には苦しみを抱えている方がおられます。寄り添えるよう努めていきたいと願っています。