内藤麻里子の文芸観察(41)

「人の振り見て我が振り直せ」を肝に銘じてきた。例えばホームビデオは他人に見せない、会社で後輩をいじめない、過去の自慢話をしない、などだ。最近は「老害」が気になっていた。そこで、内館牧子さんの『老害の人』(講談社)である。

著者には、定年後を描いた『終わった人』(2015年)、終活小説『すぐ死ぬんだから』(18年)、老後についての『今度生まれたら』(20年)という高齢者3部作がある。そして今回のテーマは老害だ。

双六(すごろく)やカルタの製作販売会社の2代目社長だった戸山福太郎は、75歳になると女婿にその地位を譲り、きっぱりと引退した。引き際は見事だったのに、5年もたつと週に何度か出社するようになった。だが、仕事があるはずもなく、昔の自慢話を繰り返しては社員たちを辟易(へきえき)させていた。そんなある日、その“老害”のせいで大事な仕事先を失ってしまった。現社長は婿だから遠慮があるが、その妻であるところの娘、明代はキレた。

前半はいかに老害が迷惑か、いかに下の世代が我慢しているかが活写される。ここに登場する老害は過去の仕事自慢の他に病気自慢、体力自慢、趣味自慢、「もうすぐ死ぬから」が口癖のかまってちゃんにクレーマー。孫自慢もある。脳の器質の変化なのか、こうはなりたくないと切に祈りそうになる。しかし物語はここにとどまらない。

自らの所業を非難され、しょぼんとしたかに見えた福太郎だったが、驚くべき計画を進めていた。そして、「年寄りはいつも感じてんだよ。自分は『いてもいなくてもいい人間』に扱われてることをさ」と、高齢者の気持ちを代弁する。筆は「年寄りの自慢話や説教を排除して生きてきた。それで生きて来られたし、万人が口を開けば言う『自分らしく』の姿勢で生きてこられた」と、若者にも及ぶ。友人の孫自慢を嫌っていた明代は、自身が孫を持ってみれば自慢したくなる気持ちが身にしみて分かったりする。高齢者に必要な「教育、教養」ならぬ、「今日行く(今日出かけて行くところ)、今日用(やるべき今日の用事)」という言葉も初めて知った。こうした代弁、分析、指摘が満載で、年を取ることの実像が迫ってくる。

高齢者は趣味にいそしむなどの「自分磨き」をしたいのではない。「他人の役に立てること」がしたいのだと、福太郎は繰り返し訴える。終幕の福太郎の言葉には大きな問題提起がある。人生100年時代をまざまざと突きつけられた。

プロフィル

ないとう・まりこ 1959年長野県生まれ。慶應義塾大学法学部卒。87年に毎日新聞社入社、宇都宮支局などを経て92年から学芸部に。2000年から文芸を担当する。同社編集委員を務め、19年8月に退社。現在は文芸ジャーナリストとして活動する。毎日新聞でコラム「エンタメ小説今月の推し!」(奇数月第1土曜日朝刊)を連載中。

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