内藤麻里子の文芸観察(18)

『やがて海へと届く』(2016年)、『くちなし』(2017年)など、人の思いを繊細につづってきた彩瀬まるさんの新作『草原のサーカス』(新潮社)は、これまでの作品にはめられていた狭い枠が取り払われた。とんでもない試練が襲う大きな物語を構築する中で、生きることとは、仕事とは何かを問いかけてくる。

製薬会社で研究職として働く姉、片桐依千佳(いちか)と、アクセサリーデザイナーの妹、仁胡瑠(にこる)は全く似ていない姉妹だ。幼い頃サーカスを見に行った思い出も、依千佳は夕日を浴びる帰路の幸せな光景に象徴させて記憶し、仁胡瑠は孤独に走る白い虎に重ねて胸にとどめていた。姉は人当たりよく、恋人も途切れることなくいて、真面目な会社員であり、妹は独自の世界を愛し、独りで生きていくと決め、コツコツとアクセサリーを手作りしていた。

そんな2人にチャンスが巡ってくる。姉には、会社の命運をかけた医薬品の販売プロジェクトの声がかかる。妹には、出版社が主導する新ブランド立ち上げの話が舞い込む。仕事に邁進(まいしん)する姿が交互に描かれ、それぞれの野心や夢、幸せの形が丁寧に浮かび上がる。

しかし、充実した日々は永遠に続くわけではない。依千佳は会社の思惑にのみ込まれていく。その過程はスリリングで、犯罪小説を読むよう。仁胡瑠の危機は、サスペンスの趣だ。大胆なストーリー展開の一方で、自分は何を間違えたのか、仕事とは何だったのかと揺れ動くそれぞれの心情が繊細に紡がれていく。そこが、この作家の面目躍如たるところで、読み応え十分。

舞台設定の工夫も面白い。日本の南方の公海上に新しい火山島が出現し、希少金属や天然ガスなどの豊富な海底資源が発見された。領有でもめた末、共同統治となった島のおかげで、東アジアにバブルが到来しているという設定。しかも、島で未知のウイルスが発見され、コロナ禍を思わせる状況を創り出している。感染症に対する過敏な反応や、政府対応の暗部などを、依千佳の友人の姿と絡めて巧妙に描き出す。

舞台設定はあくまで硬派。その上で繰り広げられるのは、女性たちが社会に縛られて苦しみ、打ちひしがれながらも、しなやかさを取り戻していく物語だ。性格や指向が違っても、自分の人生を求める点では同じであろう。姉妹を襲うのは特大の困難だが、これが他人事とは思えない。女性を悩ます社会のさまざまな困難を想起させるからなのだと思う。

プロフィル

ないとう・まりこ 1959年長野県生まれ。慶應義塾大学法学部卒。87年に毎日新聞社入社、宇都宮支局などを経て92年から学芸部に。2000年から文芸を担当する。同社編集委員を務め、19年8月に退社。現在は文芸ジャーナリストとして活動する。毎日新聞でコラム「エンタメ小説今月の推し!」(奇数月第1土曜日朝刊)を連載中。