TKWO――音楽とともにある人生♪ パーカッション・和田光世さん Vol.2

楽器の演奏から離れたことをきっかけに、自分にとってマリンバは、なくてはならないものであると気づいた和田光世さんは、東京藝術大学に進学し、音楽を続けることに。今回は、幼少期から長年マリンバを演奏してきた和田さんが大学の授業で苦手にしていたこと、また、東京佼成ウインドオーケストラ(TKWO)との出合いについて聞いた。

大勢で演奏する難しさと面白さ

――音楽大学への進学後は、順風満帆にプロへの道を?

いえ、そんなことはないですよ。音大(音楽大学)受験に必要な小太鼓は別として、私はそれまでマリンバしか演奏したことがなく、他の打楽器は苦手でした。あまりにも下手なので、入学してすぐに担当の教授にこっぴどく叱られるほどでした(笑)。それからは、「さまざまな打楽器を奏でて、そこでの学びをマリンバの演奏に生かすように」とのアドバイスに従って、大学生の時はマリンバよりもむしろ、他の打楽器の練習に打ち込みました。

苦手だったのは、それだけではありません。1年生の時に吹奏楽の授業があるのですが、それまで吹奏楽部に入ったことのない私にとって恐怖の時間でした。

オーケストラ(管弦楽)や吹奏楽で演奏する場合、打楽器は常に音を出しているとは限りません。楽譜の途中に休符が出てきたら手を止め、小節を数えて、楽譜に合わせて再び全体の演奏に加わるというのが一般的です。しかし、私が幼少期から慣れ親しんでいたソロやマリンバのアンサンブル(合奏)といった演奏では、曲の最初から最後まで演奏し続けるのが当たり前でした。ですから、楽団での演奏中に休符が30小節、40小節と続くと、その間にテンポが急に速くなったり、拍子が変わったりして、私は途中で小節を数えられなくなりました。当然、次に音を出すことができず、授業の先生から怒られました。間違えないようにしようと必死になって小節を数えていたら、今度は無意識に声を出してしまっていて、隣で演奏している先輩に怒られたという苦い経験もあります。

それまで私は、マリンバで自らメロディーをつくることがほとんどでしたから、吹奏楽やオーケストラといった「人に合わせる演奏」に戸惑いを感じ、〈自分には素質がないのかも〉と思うようになりました。

そうした経験から、まず、ソリストとして頑張っていこうという思いが強くなり、たくさんのコンクールに挑戦することにしました。入賞すれば、音楽関係者に私の名前を知ってもらうチャンスとなり、仕事につながるかもしれないと思ったからです。幸い、在学中、友人や先輩から演奏の仕事を頂く機会に恵まれたので、フリーランスの打楽器奏者として、何とか歩み始めることができました。

――楽団のエキストラに呼ばれることはなかったのですか?

ありました。さすがに、プロとして仕事を受ける頃には、小節を数えられるようになっていたので(笑)。演奏現場はアンサンブルが中心で、次第にオーケストラや吹奏楽、もう少し小編成の室内楽などに呼ばれることが増えていきました。そうした仕事を重ねるうちに、編成の人数が多ければ多いほど、演奏会を成功させた時の喜びが大きいと感じるようになっていきましたね。

ソリストでもエキストラでも、いつも、「頂いた仕事を真摯(しんし)にしっかりと取り組む」ということを肝に銘じていました。どんな仕事でも、演奏家は聴き手のため、呼んでくださる方のために全力を尽くすという、演奏家としての心構えを、在学中に先輩たちから教えられましたから。当たり前のことではありますが、その軸からは、ぶれないよう意識して、現在まで仕事と向き合ってきました。

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