TKWO――音楽とともにある人生♪ オーボエ・宮村和宏さん Vol.2

緻密なリード製作と体力を使う奏法によって、美しい音色が奏でられるオーボエ。今回は、そんなオーボエと宮村和宏さんとの出合いや、TKWOに入団する経緯(いきさつ)、奏者としての目標について聞いた。

質の高い演奏を目指してプロへ

――オーボエとの出合いは?

小学4年生の時に、初めて生のオーボエの音に触れました。当時、通っていたリトミック(身体全体を使って音楽を表現する)教育を中心とした音楽教室の先生が、イスラエルフィルハーモニー管弦楽団のイングリッシュホルン(オーボエの一種)奏者と友達で、その人が同楽団の日本ツアー中に教室に遊びに来て、「新世界」のソロパートを演奏してくれました。

その後、中学校で吹奏楽部に入り、オーボエ以外の楽器は担当が決まっていて、残っていたオーボエになったのです。この楽器についてよく知りませんでしたが、当時、オーボエ奏者の宮本文昭さんがCMで演奏しているのを聴いて、憧れを持ち、好きになっていきました。

面白い話があるんです。中学1年生の時に自分の楽器を祖父に買ってもらったんですが、その楽器が、当時は東京藝術大学の学生で、後に佼成ウインドで私の前任オーボエ奏者を務められた和久井仁さん(現在NHK交響楽団)の中古楽器だったんですよ。その時習っていたオーボエの先生が東京藝術大学の出身で、後輩に「誰かオーボエを売りたい人はいない?」と尋ねたら、和久井さんが手を挙げられて、私がそれを譲って頂いたというわけです。不思議な縁ですよね。

――プロの演奏家を意識したのはいつですか?

中学2年生の時ですね。プロ奏者のCDや生演奏をよく聴いていたのですが、部の中で合奏している時に、「もっと質の高い演奏をしたい。それは、どうしたらかなうのだろうか。そうだ! プロになろう」とひらめきました。そして、東京藝術大学音楽部附属音楽高校、さらに東京藝術大学に進みました。

――佼成ウインドとの出合いは?

大学卒業の2カ月前、佼成ウインドのCD「アーノルド・セレブレーション」のレコーディングに、客演首席奏者として出演しました。その1週間後に電話があり、入団の誘いを受けました。レコーディングが終わってすぐ、私を入れるかどうかの緊急会議が開かれたそうです。

佼成ウインドのメンバーの「良い音楽をつくろう」という積極的な姿勢がすてきだなと感じていたので、誘いを受けさせて頂きました。

音楽への積極性を感じたのは、レコーディング時のある出来事によってです。オーボエのソロ演奏の場面で、ディレクターからちょっと音が小さいから大きくしてとの注文が入りました。「はい。出します」と返答したら、当時のトランペット首席奏者の久保義一さんが立ち上がりました。そして、「えっ? ここの部分、皆さん、(音量を)落とせますよね? オーボエさん、大きく吹きたいですか?」と尋ねられました。「できれば、今のニュアンスでいけたらうれしいです」と答えると、「じゃあ、皆さん、落としましょう」と言ってくださったんです。もう一度、そのフレーズを演奏すると、周りの奏者はきれいなピアニッシモになって、ソロのニュアンスを大事に聴かすように音量を落としてくれました。良い意味でのこだわりを感じました。

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