TKWO――音楽とともにある人生♪ ホルン・小助川大河さん Vol.1

演奏技術を究めようと

――プロの奏者になりたいと思い始めたのはいつ頃ですか?

高校2年に進級する直前に、プロのオーケストラ奏者を志すようになりました。そこで音楽大学(音大)への進学を顧問に相談すると、顧問と同じ札幌交響楽団に在籍し、当時、ホルン首席奏者だった橋本敦先生(故人)を紹介してくださり、部活のない土日の時間を使って個人レッスンを受けました。

卒業まで2年ほどのレッスンはとても厳しかったですね。正確なリズムで演奏することや、ホルンを吹く際の息遣いなどが全くできていなかったのを、しつこいくらいに何回も細かく指導されました。楽器の練習用に作られた楽曲の「エチュード」一つを、何カ月も反復して練習させられるほどで……。それでも、心から音楽が好きでしたし、目標があったので途中で投げ出したいと思うことはありませんでした。

猛特訓の成果が実り、愛知県立芸術大学の音楽学部に入りました。あの時の橋本先生の指導のおかげで、今、自分はプロ奏者としてここにいられるのです。

――大きな出会いだったのですね。大学ではいかがでしたか?

大学では、講義を受けながら元NHK交響楽団の大野良雄先生からレッスンを受け、毎日、8時間ほど練習していました。また、オーケストラのエキストラとして演奏会に参加したり、中学校や高校の部活で指導したりと忙しく過ごしていました。ただ、気がつくと大学4年の夏が過ぎ、今後の進路を考える時期が来ていたのです。胸にあるのは、やはり留学して本場のオーケストラを学びたいという思いでした。

そこで、卒業してすぐに地元の札幌に帰り、1年間、深夜のカラオケ店でアルバイトをし、貯金しました。留学先への渡航費、現地での当面の生活費などに充てるためです。親も留学を許してくれ、学費も援助してもらえたことで、愛知県芸大時代の先輩の進学先である、ドイツのワイマール・フランツリスト音楽大学に留学することができました。

海外で音楽を学ぶ場所としてドイツを選んだのは、ブラームスやベートーベン、ワーグナーといったドイツを代表する作曲家の音楽がとても好きだったからです。カラヤン(ヘルベルト・フォン・カラヤン)が指揮するベルリン・フィル(ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団)のCDを昔からよく聴いていたので、その影響もあったのでしょう。

留学先でみっちり学びながら、ドイツで最初に師事した先生が所属するシュターツカペレ・ワイマールというオーケストラに契約団員として入ることができました。非常に充実した日々でした。その楽団で活動していたら、ほかのプロのオーケストラからも次々と声を掛けられるようになり、仕事は少ないながらフリーランスの奏者としても活動することができたのです。

プロフィル

こすけがわ・たいが 1986年、札幌市に生まれる。2008年に愛知県立芸術大学音楽学部を卒業して1年後に渡独した。その後、ワイマール・フランツリスト音楽大学に入学し、14年9月卒業。同大在学中に、オーケストラであるシュターツカペレ・ワイマールの契約団員として活動した。帰国後は15年からセントラル愛知交響楽団の契約団員として演奏に参加。17年12月より東京佼成ウインドオーケストラに正式に入団した。