TKWO――音楽とともにある人生♪ ホルン・小助川大河さん Vol.1

日本トップレベルの吹奏楽団として知られる東京佼成ウインドオーケストラ(TKWO)。演奏会をはじめ、ラジオやテレビ出演など、多方面で活躍する。また長年、全日本吹奏楽コンクールの課題曲の参考演奏を行っていることから、特にコンクールを目指す中学生・高校生の憧れの存在でもある。本企画の25人目に登場するのは、ホルン奏者の小助川大河さん。今回は、ホルンを始めたきっかけや恩師との出会い、留学での学びについて話を聞いた。

日に日にホルンに魅了されて

――最初に音楽に触れたのは?

2歳上の姉が小学1年生でピアノを習い始め、そのことをうらやましく思った私が、両親にお願いしてピアノを習わせてもらった時です。小学校に入学すると音楽の授業がとても楽しく、下校時にも同級生と一緒に大声で歌い、リコーダーを吹いていました。小学4年生の終わりの頃になると校内に金管バンドがあることを知り、迷うことなく入りました。

休み時間などは、同級生と一緒にコルネットを吹いたり、学校にある吹奏楽のCDを聴いたりしていました。今思えば、あれは佼成ウインドのCDでしたね。この頃から、知らずしらずのうちに佼成ウインドの吹奏楽に影響を受けていたようです(笑)。そういう時間を過ごしたことで、さらに音楽が好きになりました。

――ホルンとの出合いは?

中学校で吹奏楽部に入ってからです。それまでコルネットを吹いていたので、トランペットを希望していたのですが、担当はすでに決まっていて、空きがあったホルンを渋々担当することになりました。でも、これが運命だったとは思いも寄らなかったですね。ホルンを吹く練習をするたびに、音域が広く、音色もさまざまに変えられることなど、楽器の特性がとても多いことに気づき、ホルンの魅力にどんどんとはまっていきました。

しかし、高校でも吹奏楽部に入ると、今度はホルンの担当が埋まっていて、結果的にトランペットを吹くことになってしまいました。その年の夏のコンクールにはトランペットで出場したのですが、その後、中学時代からの思いを抑えきれず、「やっぱりホルンがいい」と顧問の先生に懇願したのです。ホルン担当だった3年生が引退したことで、念願がかなってホルンを手にすることができました。まるで仲を裂かれた最愛の恋人を取り戻したかのようにうれしかった記憶があります。それ以来、朝早く登校して熱心に練習し、午前中の授業の合間の休憩時間に早弁をして、昼休みの時間も全て練習に使いました。放課後の部活動終了後は居残り練習もこなし、帰宅後も自宅で練習して、といった“ホルン漬け”の生活を送っていました。

振り返れば、中学時代の顧問の先生が声楽専攻で、ハンガリーの音楽などに傾倒された方だったので、コンクールの曲もバルトークの「舞踏組曲」などのクラシック曲を演奏しました。普通の吹奏楽部とはちょっと違いますよね。続く高校時代の顧問も札幌交響楽団のファゴット奏者だった方で、やはり演奏する曲が「アルルの女」などのクラシックがほとんどだったので、私自身も、無意識のうちにクラシック志向になっていきました。

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