男たちの介護――(12) 徳田昌平さんの体験を読んで 津止正敏・立命館大学教授

そう考えると、各地に広がっている認知症サポーターの養成講座や認知症カフェはとても心強い存在です。家族と本人が気軽に顔を出し、相談ができるという、支援活動の〝初めの一歩〟に育ってほしいと思います。高齢社会・大介護時代の今を生きる私たちの、新しい教養として認知症・介護資源を「知る」活動が必要となってきます。介護している人、されている人だけが大変なのではありません。明日はわが身、と切に思います。

徳田さんの介護体験から教わったことは他にもあります。それは「気づき」の力です。認知症になっても「いきなり衣服を脱がされ、体を触られる行為」に違和感を持つ父のプライドへの気づき。やってみて初めて分かった「重労働の介護」の実態と、黙々とその介護を担い、やがて過労とストレスから体調を壊した「妻の苦労」への気づき。施設利用を受容できずに「父は最期まで私が看(み)よう」と心に決めたものの、自らもがんを患い、限界を知り、SOSを求めるに至ったことです。

すると、周りには徳田さんを気遣う多くの友人知人、専門職の支援がありました。同じ介護者の境遇にある沖妙子さん=仮名=との交流場面はホッとします。「一緒にお茶を飲みながら家事の悩みを聞いてくれた」「一人で考え込むと悪い方向に傾きやすいのですが、共感してくれる相手がいることで、前向きな気持ちになれました」。「気づき」に明日の希望が宿っているのでしょう。

家族の介護で忘れてはならないことは、強い責任感から「一人で介護を背負い込む」のではなく、他者や社会からの援助を受け入れる力なのではないでしょうか。特別養護老人ホームで半年間を過ごした父親が、スタッフのこまやかなケアで「時折、笑顔を見せるようになった」との徳田さんの述懐がその証しのように感じられました。