TKWO――音楽とともにある人生♪ コントラバス・前田芳彰さん Vol.1
吹奏楽部に入った意外な理由
――コントラバスの役割を楽曲ごとに注目してみると、演奏を聴く上での楽しみがまた一つ増えますね。前田さんは幼い頃から音楽が好きだったのですか?
僕の故郷は沖縄県で、近所には米軍の海兵隊基地がありました。そこに続く道沿いに、パウンショップと呼ばれる質店が軒を連ねていて、質流れ品のラジオやカセットテープレコーダーが格安で売られていたのです。それらを小遣いで買って、分解したり組み立てたりして遊んでいました。海まで行き、波の音を録音して、それを家で聴くのが楽しかったですね。
楽器を始めたのは、中学校の吹奏楽部に入ってからです。でも、それには、ちょっとした理由がありました。僕の通っていた中学校は、生徒全員が部活に入らなければならないという決まりがあって、校長先生は「部活に入らない生徒は皆、園芸部だ!」と迫るのです。横暴ですよね(笑)。僕の実家は小学3年生まで養豚業を営み、畑の耕作も手伝っていましたから、土いじりは好きでした。でも、それをわざわざ学校でやることもないので、多くの友達が入部した吹奏楽部に籍だけ置かせてもらおうと考えていました。
ただ、入部すると、ユーフォニアム、テナーサックス……と、次々に楽器をあてがわれました。それが、どれを吹いても、あまりに下手で、次々とクビになりました(笑)。「これならできるよ」と言われて、演奏会の時はシンバルをやらされましたね。楽器を演奏した経験のない、ずぶの素人で、何より演奏したいと思って入部したわけでもありませんでしたから、しばらくはマネジャーとして、部員が練習で使う椅子や譜面台を並べていました。
しかし、中学2年生の秋、吹奏楽部を指導していたOBからコントラバスを差し出され、「おまえ、これをやれ」と言われました。先輩の命令は絶対なので、もう弾かざるを得ない。コントラバスとの出合いは突然、強制的にやってきました。
プロフィル
まえだ・よしあき 1963年、大阪・吹田市に生まれ、3歳の時から沖縄・金武町(きんちょう)に。桐朋学園大学音楽科ディプロマコースを経て、85年に東京フィルハーモニー交響楽団に入団。在団中、オーストリア・ウィーンに留学した。95年に同団を退団。コントラバスのソリスト、室内楽奏者、オーケストラでの客演といったフリーでの活動を経て、2001年に東京佼成ウインドオーケストラに入団した。これまでに、檜山薫、小野充、アロイス・ポッシュの各氏に師事。