TKWO――音楽とともにある人生♪ ファゴット・福井弘康さん Vol.2

小学校の音楽の授業でリコーダーを習い、音楽に楽しさを感じた福井さんは、中学校の吹奏楽部に入り、フルートを吹き始める。しかし、学校には指導者がいなかったため、運指表を頼りに独学で練習を続け、コンクールに出場するまでに上達した。今回は、ファゴットとの出合いや、プロの演奏家を目指すきっかけについて聞いた。

楽器の“見た目”に一目惚れ

――フルートからファゴットに転じたきっかけは?

中学1年生で始めたフルートをそのまま続ける方が自然ですよね。しかし、2年生の秋に思ってもみない転機が訪れました。音楽室の楽器保管庫で、いろいろな楽器が掲載されたカタログを手に取り、ページをめくっていたら、見たことのない楽器が目に留まりました。茶色いボディーに取り付けられた、シルバーに輝く金属製のキー(キーメカニズム)――それがもう、すごく格好良く見えて、少年がロボットや機械に憧れるように一目惚(ぼ)れしてしまいました。僕は興奮して、顧問の先生に「これを触ってみたい」と言ったんです。その楽器が、ファゴットでした。

しかし、いざ保管庫を探してみても、見つかったのは壊れた2本だけ。僕の中に“諦めムード”が漂う中、先生が備品リストを調べてくれて、3本目を他校に貸していることが分かったんです。すると、先生は鼻息荒く「取り返しに行こう!」と言ってくれました。別に、盗まれたわけじゃないんですけどね。僕にフルートを担当させたことを負い目に感じていたのでしょうか。先生の車に乗り、往復約2時間かけて楽器を受け取りに行きました。

楽器を受け取った帰り道、途中で先生が楽器店に寄ってリードを買い、車内でリードを吹いて見せてくれたんです。その時、「ピー」って鳴ったのです。大人は肺活量があるので、力任せに吹いても音は出せるんです。それをいいことに、先生は「鳴るじゃん。ほら、吹いてみろ!」と言ってきて。まねして、思いきり息を吹き込んでみましたが、音は鳴りませんでした。その代わり、車内に響いたのは、空気が漏れる「スカーッ、スカーッ」というむなしい音だけ。「先生、音が出ません!」。なぜか悔しくて涙目で訴えていました。今冷静に考えると、息を吹き込むリードが中学生にとっては厚すぎて、そりゃ中学生には出せないよねって思います。僕も今と違って年齢相応に華奢(きゃしゃ)な体格だったんですよ。

僕は「触ってみたい」と言っただけなのに、大ごとになってしまい、フルートに加えて、ファゴットも吹くことになりました。その頃はフルートの人数も増えていて、フルートがいなくなる心配もなくなり、安心してファゴットに没頭していきました。あの時、顧問の先生が懸命に楽器を捜索してくれなかったら、ファゴット奏者・福井弘康は誕生していませんでした。

――ファゴットを吹くと決まったとはいえ、教えてくれる人はいませんよね

そうです。顧問の先生から再び“運指表”を手渡されました。僕にとって二人目の指導者です(笑)。でもこの時は、再び初心者として音を出すところから始まったので、自分で納得いく演奏ができるまで、フルート以上に熱心に練習しました。まずは、運指表に小さく載っていた「喜びの歌」(ベートーベン作曲、別名「歓喜の歌」)を吹けるようになろうと、指使いを一つ一つ確認しながら楽譜を追い、練習を続けました。

練習のかいあって、ファゴットを始めて4カ月ほどで、アンサンブルコンテストに出場できました。それで、少しずつ上達してきているのかな? と感じていました。同時期にあるソロコンクールにフルートで出場し、ここでも金賞を取ることができました。どうやって二つの楽器を練習していたのでしょうね。自分でも謎です(笑)。

すると、中学3年の秋、顧問の先生から「1年でこれだけ吹けるようになったんだから、おまえ、ファゴットで食っていけるんじゃないか?」と言われたんです。始めてたった1年なので、普通なら、先生の単なる褒め言葉程度にしか思わないでしょう。それを僕は、「マジっすか?」とはしゃぎ、真に受けていました。今思えば、プロの演奏家の一声ならまだしも、打楽器専門の吹奏楽顧問との会話で舞い上がるなんて、どうかしていると思います。でも、この頃は、自分で言うのも恥ずかしいですが、まだピュアだったんです。しかし実際、この言葉をきっかけにプロの道を意識するようになり、人生が大きく動き出しました。

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