TKWO――音楽とともにある人生♪ ファゴット・福井弘康さん Vol.2

佼成病院で行われたサロンコンサート

音楽を学ぶため、進路を大きく変更

――演奏家になろうと思う前はどのような将来を思い描いていたのですか?
それまで、僕は町の電気屋さんになるのが夢で、工業高校に進学するつもりでした。将来は、生まれ育った北海道の当麻町という人口約8000人の小さな町で、おじいちゃん、おばあちゃんの家にある家電を修理して暮らす姿を漠然と思い描いていました。

でも、先生の一言で、ファゴットを吹く人生も楽しく、幸せなことだと思ったのです。楽器をもう少し吹きたい――その一心で進路を変更し、旭川市内の普通科の高校に進みました。家族も僕の気持ちを尊重してくれ、入学後はすぐに楽器を買ってもらってファゴットの個人レッスンを受け、ピアノも習い始めました。ここから音大(音楽大学)への進学に向けた準備が始まったという感じです。

高校の吹奏楽部は強豪校ではありませんでしたが、高校3年間はファゴットで吹奏楽コンクールに出場しました。そこで、他校のファゴットの音も聴くのですが、うちの吹奏楽部員のみんなが、「おまえ、旭川で一番吹けるんじゃないか?」って言ってくれて、それを素直に喜んでいました。中学生の頃から進歩がないですね。そう、恥ずかしながら、まだピュアだったのです(笑)。

その後、神奈川の昭和音楽大学に進学した僕は、在学中から楽団に所属して、スター街道まっしぐら……といけば格好が良いんですけど、そうはいきませんでした。それでも、3年生の時、「第21回日本管打楽器コンクール」のファゴット部門で4位を頂いたことは、大きな自信になりました。というのも、この時の上位3人は皆、海外留学の経験を持つ年上の演奏家だったからです。留学未経験の現役音大生が食い込んだという意味で、僕としては、やってやったぞ! という思いがありました。

ところが、卒業を目前にした大学4年生の冬、母との電話の中で、こう切り出されたんです。「お父さんが『弘康は4年間、何をやってきたんだ』と言っていた」と。自分には努力してきたという自負があっただけに、愕然(がくぜん)としました。

普通の大学生だったら、とっくに就職の内定が出ている時期ですが、僕は所属する楽団もなく、報告できるようなことは何もありません。だから、父なりに卒業後の僕の生活を案じていたのだと思います。その親心は、今なら理解できます。

ただ、当時の僕は、演奏をなりわいとする難しさ、厳しさを肌身に感じながら、何とか道はないかともがいていたので、ひどい話ですが、〈楽器で食おうと頑張っているのに、なぜ認めてくれないんだ!〉という思いが真っ先に込み上げました。僕はファーストフードのハンバーガー店でその電話を受けたのですが、気づいたら、他のお客さんのことなんか、気にも留めず、一人、悔し涙を流していました。

プロフィル

ふくい・ひろやす 1983年、北海道上川郡当麻町生まれ。昭和音楽大学卒業。ファゴットを一戸哲、太田茂、故・水間博明の各氏に師事。「第7回津山国際総合音楽祭ダブルリードコンクール」第1位をはじめ、数々のコンクールに入賞する。東京佼成ウインドオーケストラのメンバーで構成された木管五重奏ユニット「東京ELEMENTS」メンバー。昭和音大および桐朋学園大学音楽学部で非常勤講師を務める。