TKWO――音楽とともにある人生♪ ホルン・木村淳さん Vol.2
小学6年生でホルンにひかれ、現在も新たな魅力を発見し続けている木村淳さん。プロ奏者になるまでの経緯をはじめ演奏に行き詰まった時に取った行動、演奏技術を向上させるための秘訣(ひけつ)を聞いた。
在学中に受けたオーディションでプロへの扉が開く
――プロの奏者を意識し始めたのはいつですか
本格的に考え始めたのは、高校生の頃です。僕の出身地である金沢は当時、「音楽不毛の地」といわれていました。音楽を志すのであれば、専門の高校に行った方が良いとの勧めを受け、東京に出ました。一応はプロになるつもりで上京したわけです。それが、入学して初めて、音楽を職業にすることがいかに大変かを目の当たりにしました。
それまでは、音楽大学を出れば、どこかの楽団に入れると安易に考えていたのです。しかし、実際はものすごく高い倍率であることを知りました。そのため、指導する先生も厳しかったですし、生徒もみんな一生懸命で。自分はとんでもない世界に飛び込んだと、ようやく現実を思い知らされましたが、〈もう後戻りはできない〉と、必死に練習しました。それからは、暇さえあれば吹いていました。
プロになるまでは、興味のある奏者の元に自分から押し掛けていってはレッスンをつけてもらっていました。LPレコードを聴いて目当ての奏者を探し、外国人の方であれば手紙、日本人の方には電話で会ってほしいとお願いすることを繰り返しました。その数は、20人を超えたでしょうか。積極的な姿勢を快く思って受け入れてくださり、多くの方のいろいろな技術を取り入れていきました。
その後、音楽大学に進み、在学中に東京交響楽団のオーディションを受けました。在学中に挑戦したのは、経済的な理由からです。実は家が裕福ではなく、授業料を払い続けることが難しかったのと、親から早く自立したいという思いがありました。オーディションに受かり、プロの仲間入りとなったわけですが、自分はたまたま運が良かったですね。