『ミャンマー近現代史から見たクーデターの背景』 平和に向けて今、できることは 上智大学教授・根本敬氏

2月1日のクーデターの背景

さて、クーデターはどのように起きたのでしょうか。起点は昨年11月8日の総選挙にさかのぼります。選挙では与党NLDが圧勝し、野党USDPが二度目の大敗を喫しました。

元々、国軍とUSDPはコロナ禍を理由に、選挙の延期を主張していました。ただ、国軍は選挙が実施されても、NLDのかつての公約が十分に果たされていないため与党への国民の支持が下落していると見越し、USDPの躍進とNLDの過半数割れによって軍の息のかかった新政権ができると考えていたようです。しかし、選挙結果は正反対だったため、国軍は有権者名簿に大量の不正があったと選挙管理委員会に訴えました。目論見(もくろみ)が外れた国軍はそうするしかなかったのでしょう。海外からの選挙監視団は、おおむね選挙は公正に行われたとの判断を示し、選挙管理委員会は国軍の訴えを却下しました。

年が明けても、国軍とUSDPは選挙不正の調査を訴え、国軍はNLDに直談判するとともに、2月1日から始まる連邦議会の開催延期を申し入れます。しかし、NLDはその主張に正当性がないとして拒否。これに対し国軍が2月1日にクーデターを起こしたのです。

ここで、国軍の政治に対する考え方、政治への権限を保持している仕組みについて説明します。

ミャンマー国軍には三つの特徴があります。一つは「政治に関与する軍」であること。国防に専念するだけの役割では駄目だとの考え方です。二つ目は「国家を正しい方向に導く軍」という使命感を持っていること。三つ目は「議会制民主主義に不信感を持つ軍」だということ。1950年代の政治の混乱を基に、議会制民主主義は軍が監視しなければならないとの考えに立っています。

さらに政治関与にこだわる理由として経済権益の確保があります。国軍は、「国軍系複合企業体」と呼ばれる二つの持ち株会社を持っています。そこから、国防費を超えるともいわれる莫大(ばくだい)な利益を上げています。

軍事クーデターに対する国民の抵抗を表わす「3本指サイン」があしらわれた特別セミナーのチラシ ※クリックして拡大

こうした国軍の権限を保障しているのが現在の憲法です。民政移管前の2008年に制定されました。この憲法により、行政において国軍は、国防省、内務省、国境省の権限を独占しています。軍最高司令官は3省の大臣を指名できるので、軍、警察(内務省)、国境治安維持の組織を思うように動かすことができます。

立法においては、国会議員の25%があらかじめ軍人に割り当てられています。2人の副大統領のうち1人の選出権を軍人枠の議員が持っています。

また、大統領(権限委譲の際は副大統領)が非常事態宣言を発令した場合に、軍最高司令官に全権を委譲できるという「合法クーデター条項」が盛り込まれていることです。今回のクーデターでは、ウィンミン大統領を拘束して動けなくした上で、軍出身の副大統領に権限が委譲され、これが発動されました。

さらに、アウンサンスーチー氏の大統領就任阻止を意図した大統領資格条項があります。外国籍の家族がいる人は、正副大統領のいずれにも就任できません。彼女の夫(故人)、子供はイギリス国籍を有していますから大統領に就任できないのです。

こうして民政移管後も権限の保持を図っていたのですが、現憲法にも軍にとって一つだけ計算ミスがありました。それは、上下両院が必要と認めれば過半数の賛成で政府に新しい役職をつくることができるという条文があったことです。これを利用して2015年の総選挙で圧勝したNLDは翌年の新政権の発足とともに、大統領にも命令できる「国家顧問」というポストを新設しました。アウンサンスーチー氏を大統領級にするための方法を編み出したのです。

国軍にとって、アウンサンスーチー氏の国家顧問就任は許しがたいもので、両者の関係は冷却化します。また、ロヒンギャ難民の問題で、アウンサンスーチー国家顧問は国家の名誉を守り、軍の立場を弁護し、欧米社会から大変な批判を受けたわけですが、一方で難民の帰還を前向きに考え、国籍付与も模索していました。これが軍の反発を買いました。さらにNLDによる上下両院での憲法改正の提案が関係を悪化させました。これらも、今回のクーデターの背景になったと考えられます。

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