『ミャンマー近現代史から見たクーデターの背景』 平和に向けて今、できることは 上智大学教授・根本敬氏

根本氏は、ミャンマーの近現代の歴史を踏まえ、クーデターの背景や国民の抵抗について詳述した

ミャンマー近現代の歩み

現在のミャンマーの土台ができたのは、1886年から1948年のイギリスの植民地期(1942~45年の日本統治期を除く)です。この間にビルマの王朝国家が壊される一方、イギリスの人口調査によって人々の間で民族意識がアイデンティティーとして形成されました。ビルマ民族はその中でも最大の民族となり、上座部仏教を信仰し、ビルマ語を母語とし、過去の王朝国家への愛着を持つようになりました。彼らの中から独立運動が起こり、1948年にビルマ連邦として独立しました。

ただし、この時の政権は、ビルマ共産党や少数民族の武装組織との闘争、議会政治の混乱によって安定せず、それらを抑え込む勢力として国軍の存在感が強まっていきました。1962年、軍が最初のクーデターを起こし、政治を担います。ビルマ式社会主義を唱えましたが、人々の政治的自由はなくなり、経済政策も失敗し、国民に大きな失望感を与えました。

東南アジアのインドシナ半島西部に位置するミャンマー

1988年、学生主導の民主化運動が起こり、やがてアウンサンスーチー氏が政治の世界に登場します。しかし、民主化運動は、国軍の二度目のクーデターによって、つぶされます。社会主義は放棄されましたが、以前より強固な軍政が敷かれ、国軍の命令と強制によって国民を統治する形が続いたのです。アウンサンスーチー氏は自宅に長期軟禁されました。

2011年、社会主義時代から49年間続いた軍政が終わりを告げ、民政に移管されます。ここから10年間、民主主義と経済成長、より開かれた国際関係への参加が進み、国際社会に存在感を示していくことになります。

アウンサンスーチー氏率いるNLD(国民民主連盟)が参加できなかった2010年の総選挙では国軍系のUSDP(連邦団結発展党)が圧勝し、民政移管後の5年間は軍出身のテインセイン氏が大統領を務めました。次の2015年の総選挙ではNLDが圧勝し、アウンサンスーチー氏が国家顧問に就き、政権を担いました。昨年11月の総選挙で再びNLDが圧勝したため、本来ならその政治が続いていたのですが、クーデターによって壊されてしまいました。

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