『現代を見つめて』(14) 文・石井光太(作家)

人生の背景に思いを馳せて

昨年の夏、広島平和記念資料館の地下の展示室に、一枚の焼け焦げたモンペが飾られていた。原爆の被爆者が着ていたものである。

持ち主は、Sさん。十三歳の時に広島駅の裏にあった「東練兵場」で被爆した。爆心地から約二キロあったが、爆風で吹き飛ばされ、首から両足にかけて大火傷(やけど)を負った。それから約三カ月、Sさんは母親にてんぷら油を火傷の傷に塗ってもらって痛みを和らげて生き延びた。

九月、私は二十代の編集者二人とSさん宅を訪れて話を聞いた。Sさんは笑顔で「原爆の後遺症は大したことなかった」「みんな火傷してたから当たり前だった」と前向きに語り続けた。そして、若い編集者に言った。「あなたたちは結婚まだでしょ。私は恋人と三年付き合って二十一歳で結婚したけど、結婚まで『一線』を超さなかったの。結婚して初めて結ばれたときの感動は大きかった。あなたたちもそうしなさい。きれいな体で結婚すれば、感動は何倍にもなるから!」

そう言って性の喜びを何度もくり返し語ったのだ。

取材後、編集者は苦笑し「明るい原爆体験でしたね」とつぶやいた。それはルポルタージュとしては使えないということを意味していた。だが、私はきっと彼女の言葉には裏の意味があるはずだと思っていた。

数日してそれが明らかになった。資料館でSさんがモンペを寄贈していたときの記録を確認すると、こういう一文を見つけたのだ。

〈Sさんはケロイドがひどく旅館で風呂に入ることなどができなかった〉

全身にケロイドを負った若い女性の苦しみは想像に難くない。だから、Sさんは三年間恋人に体を許すことができなかった。インタビューの際に初夜の喜びを語った背景にはそうした事情があったのではないか。

苦しみの当事者は、なかなか直接的な表現では語らない。だから、人は歴史認識を誤ることがある。私たちは常に背景を考え、人と時代を理解しなければならない。

プロフィル

いしい・こうた 1977年、東京生まれ。国内外の貧困、医療、戦争、災害、事件などをテーマに取材し、執筆活動を続ける。『アジアにこぼれた涙』(文春文庫)、『祈りの現場』(サンガ)、『「鬼畜」の家』(新潮社)など著書多数。近著に『世界の産声に耳を澄ます』(朝日新聞出版)、『砂漠の影絵』(光文社)がある。